ウェッジの歴史 Ⅱ
ウイルソンのサンドウェッジが圧倒的人気だった時代の後を受けて登場したのがベンホーガンモデルです。ウイルソンのモデル とは対照的にソール幅が広くてしかも丸くなっているのが特徴です。この時代は、リーディングエッジから後方にかけてもラウンドがついていたほうが抜けやす いと考えられ、多くの類似モデルが開発されました。しかしこれは、必ずしも進化とはいえず、ウイルソンのフラットなソールに対して新鮮さを狙ったモデルと いえるでしょう。
ベンホーガンのように全体に丸くなったソールの次の時代に出現した機能的ソールの典型がピンアイ2。一見ソール幅が広そうに見えるのですが、実際に地面に 接する面は狭く、しかも中央部分がフラットになっています。これ以前のサンドウェッジに比べると、機能として有効な部分を取り入れて設計されたソール形状 でした。フェースを開くと刃が若干浮きますが、グースネックなのでハンドファーストになりやすいためクラブヘッドの入射角が安定します。
日本の代表J’sモデルのウェッジは、どちらかといえばフェースを開かずにスクェアな状態でラインを出しやすいようにつくられているのが特徴でした。
フェースプログレッションが小さい(グースネック)のでハンドファースト気味になりやすく、リーディングエッジがシャープだと引っかかりやすいので、それを防ぐためリーディングエッジの角がヒールからトウにかけて丸くなっています。
最近の出っ歯型のクリーブランドやボーケイ等のウェッジはフェースを開いてフワッと上げるように打ちますが、Jユsモデルは強めに低く打って止めるジャンボ尾崎プロの打ち方に合ったモデルでした。
幅が狭くバンスが強いソールはミズノプロモデルに多く見られたソール形状です。フェースを開いて使うことを前提に設計されていて、スクェアに構えた状態ではソールの座りが悪いのですが、開いて構えると安定するように作られています。
幅は狭くフラットでバウンスが強いソール形状でリーディングエッジの反対側のRを強くしているのが特徴です。
またヒール側とトウ側は中央部分よりバウンスが小さくなっていました、狭いソール幅とともにツアープロの声を反映させたソール形状のウェッジでした。
バンスが強く多面構成ソールの代表モデルはショートゲームの名手、フィル・ロジャース設計のコブラ「スキッドソール」ウェッジでしょう。
バンス角が30度もありながらリーディングエッジから頂点までが短く、構えたときに歯が浮かないのが特徴で、ヒール寄りの面を落としてありフェースを開いて打ってもヒールエンドが引っかからず、抜け(スキッド)の良さは見た目以上です。
フィル・ロジャースはジャック・ニクラウス、デイビット・ディバル、レイ・フロイド、ポール・エイジンガーなどを教えたシートゲームの名コーチとしても有名で、選手時代には、PGAツアー5勝を挙げたプレーヤーです。
二クラウスの初優勝62年の全米オープン(オークモントCC)では3位になり、63年ロイヤルリザムで開かれた全英オープンではプレーオフでボブ・チャールスに負けて2位になっています。
最後の2ホールでボギーを叩いて、結局1ストローク差でプレーオフに加われなかったニクラウスは引退後、最も忘れられなかったトーナメントに挙げてこう 語っています。「17番ホールで、ティショットをフェアウェイ右サイドに落として、2打目を打とうとしていた。キャディのジミー・ディキンソンが残り 212ヤードだと言って、3番アイアンを差し出してくれた。私はふと逡巡して2番アイアンのほうがいいんじゃないかと彼に言った。3番で十分だという彼の アドバイスを聞かずに、2番アイアンでピンを攻めたわけです。ところがボールはグリーンオーバーして、1メートル半に寄せたもののそれを外してボギーを叩 いた。そして18番ホールのティグランドに立ったときに、ちょうど16番グリーンでフィル・ロジャースとボブ・チャールスがパッティングをするところだっ た。ふたりともバーディはとれなかった。従って私は、この18番ホールを4で上がれば優勝、5なら並ぶと思って攻めることにした。18番ホールは、左サイ ドにいくつもバンカーがあって、最後のバンカーを越していくのが理想だ。ところがキックしたボールはバンカーに入って、結局サンドウェッジで出すだけ。私 は、そこをボギーの5でホールアウトして、彼らのプレーオフには加われなかった。自らの失策で勝ちを譲ったわけです。その記憶が鮮明にいまでも残ってい る」とニクラスは勝った試合より負けた試合を述懐しています。
60年代、フィル・ロジャースは最高のウェッジプレーヤーといわれていました。学生時代からライバルであったニクラウスから「助けてくれ」と電話があり、当初2日間の予定を2週間つきっきりでショートゲームを教えたそうです。
ニクラウスがそれほどまでに優勝への執念を持ち続けていなければ、4日間の死闘の末にクラウスに次いで2位となった80年の全米オープンで、青木功プロがメジャーチャンピオンになっていたかもしれません。
皮肉なことにフィル・ロジャースも91年シニアツアーのメジャートーナメント「トラディション」で二クラウスに敗れて2位になっています。


