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Open: 12:00~20:00 (月曜定休)

Kankokutei

ソチ五輪 3月1日号

眠れない夜を過ごしているのは私だけでしょうか?

「ソチ五輪」のフィギュアスケート男子フリースケーティングが行われ、

ショートプログラムで首位に立っていた羽生弓弦が日本男子初の快挙となる金メダルを獲得しました。

SPを終えた時点で2位のパトリック・チャンとは、わずか3,93点の差で

「世界選手権3連覇中の王者」に、フリーでひっくり返される可能性は十分にあり、

プレッシャーは尋常ではなかったはずです。

演技冒頭、今季は成功率が低い4回転サルコウで転倒してしまい、

続く4回転トゥループはしっかりと着氷したものの「割と確率の高い」トリプルフリップでまさかのミスと、

この時点で金メダルは遠ざかったように思われました。

その後は大きな演技で失敗もなく、最後まで滑り切ったものの、

首を振りながら演技を終えたのです。

しかし続くP・チャンもミスを連発。4回転トゥループは手をつき、

トリプルアクセルではバランスを崩し、最後のダブルアクセルも失敗し、

この結果、羽生に金メダルが転がり込んできたのです。

「今回はダメだと思っていました。後半になるにつれて足が重くなってきて、

体力もなくなり、マイナスな気持ちも出てきた。

Pがあれだけできたのが大きかったと思います」と、「金メダル」の勝因を語っていました。

 

高橋大輔がバンクーバー五輪で銅メダルを獲得し、

日本に歓喜をもたらした4年前、羽生はまだ15歳でした。

2009年末の代表選考会で6位に入るなど期待の若手でしたが、

1人のジュニア選手に過ぎなかったのです。

011年3月11日の「東日本大震災」では、練習拠点だったアイスリンク仙台と

自宅が大きな被害を受け、それから4日間を避難所で過ごし、

スケートをやめようと考えたこともあるそうです。

「本当に生活することが難しくて、ぎりぎりの状態だったんです。

でも水や食料を供給してもらって、たくさんの人に支えられていると感じた」と、

練習ができない時期、同じ仙台出身の荒川静香をはじめとした

スケーターが開催するチャリティーアイスショーで各地を回り、

そうした中で実感したのは「信じること」の大切さで、

被災者に向けた色紙にその言葉を記しています。

「信じられるものがなくなりつつある。今の日本には、

ひょっとしたらそんな雰囲気もあるかもしれません。

でもやっぱり一人一人の持っている力を『信じること』そのものが大きな力になる。

そう思いたくてこのメッセージを書きました」と、語っています。

同年7月には「アイスリンク仙台」が再びオープンすることができ、

競技を続けられるように支えてくれた人々に恩返しがしたい。

その一心で練習に励んできた羽生は、翌シーズンに大きく飛躍を果たします。

ロシア杯でGPシリーズ初優勝を果たすと、全日本選手権では3位に入り

「世界選手権」への出場権を獲得し、初出場でいきなり銅メダルに輝いたのです。

17歳3カ月での「世界選手権」のメダル獲得は、日本男子では最年少記録でした。

大舞台で結果を残したことにより、注目度も徐々に高まったのです。

 

続く12−13シーズンは、羽生にとってスケート人生の転換期となりました。

12年5月、バンクーバー五輪でキム・ヨナに金メダルをもたらしたコーチ、

ブライアン・オーサーに師事するため、練習拠点を仙台からカナダのトロントに移したのです。

「カナダへ行く決断は非常に難しいものでしたし、

仙台に残っていたいという思いもすごくありました。

コーチを替えるというのは自分にとってものすごく大きな変化でしたし、

言葉の壁は大きかった」と、当時の苦労を明かしています。

友人もいない異国での生活に、慣れない英語での会話。

それでも「信じること」をテーマに2年後に開催される「ソチ五輪」を見据え、

より高みを目指すために必死で練習に打ち込んだ結果、

12年10月の「スケートアメリカ」と11月に行われた「NHK杯」のSPで

当時の「世界歴代最高得点」を更新したのです。

 

五輪前哨戦としてソチで開催された「GPファイナル」でも2位という成績を残し、

さらには年末の「全日本選手権」でも高橋とのハイレベルな争いを制し優勝と、

一気に「五輪」のメダル争いに名乗りを挙げる存在にまで成長を遂げたのです。

そして今季の「GPシリーズ」では、13年10月の「スケートカナダ」

同11月の「エリック・ボンパール杯」ではP・チャンに敗れたものの

「GPファイナル」では、ついにP・チャンに雪辱を果たしたのです。

「今シーズンを通してパトリックと何度も対戦するうちに、

自分のペースというのがいかに大事かが分かりました。

現在は試合に臨む上で良いメンタルコントロールができるようになっています。

パトリックがいなかったら今の自分はなかったと思います」と、

世界のトップと同じステージに立つ「海外経験」の重要さを語っています。

B・オーサーコーチは「数年前から彼のスケーティングを見ているが、

かなり成長、成熟してきている。このプロセスは草が伸びてくるのをじっと見守るようなものだが、

以前との違いが明確になってきた。スケーティングスキルも

スタミナも演技も成長してきたと手応ええを感じている」と、

羽生の成長を認めていました。「日本チャンピオン」として乗り込んだ「ソチ五輪」では、

この大会より新設された団体戦に出場し、P・チャンや

「皇帝」エフゲニー・プルシェンコらを抑えてトップに立ち、

堂々とした滑りを大舞台で披露したのです。

迎えた個人戦は「金メダル獲得」の期待を背負いながら

SPで国際大会では史上初となる100点超え(101,45点)を果たし

首位に立つと、フリーではミスが出たものの何とか逃げ切ったのです。

金メダリストとなり、震災については「本当に何と言っていいか分からないですし、

自分が何ができたかというと、自信を持ってこれができたというものが何もなかったんです。

ただ、五輪の金メダリストになれたからこそ、

復興に役立てることもあるんじゃないかと思っています。

はっきり言って自分の演技には満足していないですし、

トリプルフリップという自分の中では割と確率の高いジャンプをミスしてしまったので、

少し神経質だったというか緊張していたのかなと思います。

でも結果として優勝したという意味では日本人として誇らしく思います」と、

笑顔を見せていましたが、最高の舞台で完璧な演技が出来なかったとこで、

さらなる努力を重ねることでしょう。

「スケートに集中するため」と携帯電話は持たず、昨年12月に「GPファイナル」で

P・チャンに初めて勝った夜は、優勝したのにもかかわらず

朝の5時まで自身の映像を見返し反省したといいます。

目立ちたがり屋で小学校時代の学芸会では、

いつも主役に立候補したということですが

「たくさんの人に見られる方がテンションが上がるし力になる」という

「天性のショーマン」が「被災者への思い」を胸に、努力を積み重ねて掴み取った金メダルでした。


ショートプログラム後P・チャンは「ユヅルは首位に立つ経験に慣れていないはずだ。

どう対処するのだろう」と、プレッシャーを与えるようなコメントをしていましたが、

自身も「五輪」という大舞台で、自分のペースを貫くことはできませんでした。

銀メダルという結果に「がっかりしているが、人生は続いていく。

(スノーボード男子ハーフパイプの第一人者)ショーン・ホワイトでさえ

ミスをするのだから」と自分に言い聞かせるように話していました。

 

SPの11位が響き、5位とわずかにメダルに届かなかった町田樹は

「パフォーマンス的にも完成度の高いものができなかったが、

最後まで懸命に戦ったつもり。かけがえのない大切な方々がぼくをここに導いてくれた。

皆様に感謝している。五輪はこんなに大きい存在なのかと実感した。

もっと自分らしいパフォーマンスを日本の皆様、世界の皆様にお届けしたかったので

正直すごくくやしいが、ここから多くのことを学んで、ここから次の一歩を踏み出したい」と、

最初で最後の「五輪」を語っています。

 

SP4位の高橋大輔は得意のステップで見せ場を作りますが、

4回転ジャンプで両足着氷となり6位でした「満足のいくできではなかったが、

自分自身は精いっぱいできたと思う。これが僕の実力だと改めて感じた。

たくさん、日本から応援も来てくれたし、気持ちを込めて滑ることができたので、

それはよかった。100%ではなかったが、気持ちだけは諦めずにやった。

きついことの方がいっぱいだったが、これが何か次につながる舞台になると思う。

自分にとっては最高のソチだった」と、波乱万丈の競技人生に感謝の言葉を述べました。

 

国内では日本オリンピック委員会が金に300万円、銀に200万円、銅に100万円の

報奨金を用意すると発表していました。

スピードスケート男子500mの金メダル候補だった長島圭一郎や加藤条治が所属する

日本電産サンキョーは金に2千万円、銀に1千万円、銅に600万円と発表していましたが、

半額を自己負担する永守重信会長は「勝ち方で感動したら考える」と、増額を示唆していました。

結果は1本目こそ長島圭一郎が34秒79で3位、

藤条治が34秒96で5位と好位置につけましたが、

2本目は、長島圭一郎が35秒24と大きくタイムを落とし、

合計70秒04の6位と失速。加藤も2本目で好タイムを出したものの、

5位と両雄の意気込みとは裏腹に、メダルには届きませんでした。

 

2006年トリノ五輪以来のメダルゼロの危機を迎えたスピードスケート陣ですが、

実力差を如実に突きつけられている背景には、組織の閉鎖性がある様です。

「日本代表として一緒に合宿に行っても、所属で食事も別だし、

練習で所属外の選手を教えることもない」と、大企業に属さないコーチが語っています。

オランダや韓国などは、国際大会前の練習でも一列に連なって滑り、

女子選手が男子選手の背を追うという「代表一体」で強化を目指すのですが、

日本代表には見られず、所属別に練習時間が分かれることもあるということです。

選手を広告塔とする所属企業ごとの国内争いに必死なため、連携に欠けるということなのでしょう。

 

女子500mで2連覇した李相花らの韓国勢はカナダ人コーチに学び、

中国チームには韓国人コーチがいます。しかし「スピードスケート日本代表」は、

外国人指導者を招いたことがなく、また海外勢との合同合宿もありません。

コーチ陣が「海外勢が想像以上に伸びている」と驚きを隠せないのも、

海外との接点が少なく、情報が不足しているためなのでしょう。

日本サッカーの活躍も、世界のリーグで活躍した選手やコーチの情報力と経験が原動力で、

ゴルフの石川や松山も、早くから海外に目を向けたからこそ活躍できているのです。

環境の厳しい「アジアンツアー」で経験を積んだプレーヤーが、

日本で活躍するのは当然とも言えます。

残念ながらメダルに届かなかった選手たちからも

「大きな感動」をもらえる「ソチ輪」ですが、後半にはどんな「ドラマ」が待っているのでしょう



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