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E-mail: sammy@sammygolf.com
Open: 12:00~20:00 (月曜定休)

Kankokutei

二人のレジェンド 3月15日号

数々の感動を与えてくれた「ソチ五輪」でしたが

「41歳のレジェンド・葛西紀明」が「銀メダル」を勝ち取りました。

1本目、2本目とも「ウィンドファクター」という、風の条件でもらえる得点が−1.6でしたが、

これはマイナスの方が飛距離を伸ばすのに有利な向かい風を受けていたという数字で、

葛西にとっては有利な条件で、飛距離を伸ばしたのです。

「金メダル候補」として期待が高かった高梨沙羅は4位に終わりましたが

「ウィンドファクター」は1本目+3.1点、2本目+1.9点と合わせて+5点の加点でした。

これは出場選手中2番目に悪い数字で、飛距離の伸びない不利な

葛西とは対照的な「追い風の中のジャンプ」だったことが分かります。

飛距離の出にくい悪条件の中で攻めた結果、テレマーク(着地姿勢)がきれいに入らず

加点もできなかったのです。

それだけに葛西の偉業は「運」も味方につけた大ジャンプともいえます。

 

日本ジャンプ陣にとっては16年ぶりのメダルでした。

ラージヒルでは世界ランク3位という近年の実績からすれば、

葛西がメダルを取っても不思議ではないのですが、

40代になっても世界とこうして戦えるというメッセージは、

ジャンプ界だけではなく、スポーツ界全体にとっても大きいことでした。

メダルを取ったことで、周りの選手たちは身近な目標が設定でき、

追い越すために切磋琢磨することで、日本国内のレベルが上がることになります。

子供たちにも夢を与えたと思います。これをきっかけに、

ジャンプの競技人口が増えるかもしれません。

今後はメダリストとして、好影響を与えるような活動をしてほしいですが

「金メダル」獲得のために、4年後を目指すことを発表しています。

 

葛西は高校1年で早くも「日本代表」になり、「W杯」や「世界選手権」にも

出場するほどの才能を早くから発揮したのです。

葛西の家庭は決して裕福ではなく、お米も買えないぐらい貧乏で、

妹は血液の難しい病気を抱えていました。

しかしそういう苦労を自分から友人に打ち明けることはなかったといいます。

苦しいことや弱音は一切吐かず、葛西の友人は「楽しいことはパーッとしゃべるのに、

自分のマイナスの部分を表に出そうとしない。妹の病気のことは新聞で知って、

『妹が病気なの?』と聞くと『そうなんだ』とは答えるのですが、

それ以上は聞いてくれるな、という雰囲気を出していました」と、話しています。

そういう姿勢は、練習の取り組み方にも表れていたようです。

監督や先輩に言われてやるのではなく、自分で自分を追い込み、

自ら進んで練習していたといいます。

苦しいトレーニングにも弱音を吐く事はなく「楽しみながら精進する」という

葛西なりのスタイルを身につけています。

この辺りが、まさに葛西をこの年齢まで競技を続けさせ

「レジェンド」たらしめている秘密なのでしょう

。葛西は「僕が金メダルを取れば妹の病気が治るような気がする」と、

語ったことがあります。これまでのアスリートとしての生き方を照らし合わせれば、

最後の最後で葛西を支えているのは「家族への想い」であるに違いありません。

葛西はクラシカルスタイルからV字ジャンプへの移行と、度重なるルール変更、

2度に渡る所属チームの消滅などさまざまな苦労も乗り越えてきています。

また1998年の「長野五輪」は負傷により、ラージヒル団体の

「金メダルメンバー」から外れたのですが、その悔しさを持ち続け、

人生のすべてをジャンプにささげてきたのです。

 

2001年からは減量をスタートし「バンクーバー五輪」前には、

札幌の自宅マンションを改造し、トレーニング室を作っています。

バイクや大腿四頭筋を鍛えるレッグエクステンション、

スクワット専用ベンチプレスなどを設置し、徹底的に肉体をいじめ抜いてきたのです。

想像を絶する12年間の努力の結果、体脂肪率は5~6%と

イチロー並みの数字を維持しています。

ランニングは8~9歳のころから30年以上、欠かしていないという「ストイックの鬼」です。

昨年の後半戦から「もしかしたらトップを狙えるんじゃないか」と手応えをつかんだといいますが、

ここ2~3年泣かされた故障もなく、夏場のトレーニングも充実していたといいます。

毎年変わるスーツのルールにも対応し、経験だけに頼らない柔軟性も兼ね備えて

「日本選手団主将」という立場での「五輪挑戦」でした。


長野での悔しさを葛西は「7割ぐらいは晴らせた」と話し、

残り3割は団体戦にぶつけることを宣言していました。

W杯で「史上最年長優勝」を果たした際に葛西は、

各国のトップ選手に祝福され、思わず涙を流しそうになったそうですが

「オリンピックで泣くべきだなと思って我慢しました」と、笑顔で話していました。

そして「銀メダル」を勝ち取ったこの日も涙をこらえたのです。

「日の丸飛行隊」は、ラージヒルでは葛西に続き、9位に伊東大貴、

10位に清水礼留飛が入り、竹内択も13位でした。

トップ10に3人が入った国は他にはなく、一躍メダル候補となったのです。

「長野五輪」以来の金メダルも期待されましたが、ドイツ、オーストリアが

団体戦での強さを発揮し、リードを広げられる展開でした。

「日の丸飛行隊」は、2チームを残してトップに躍り出た段階でメダル確定、

そして銅メダル。フラワーセレモニーを終えた葛西の目に、初めて涙が溢れました。

 

20歳の清水は「守りに入ったら絶対駄目」と思い切りの良さで勢いをもたらし、

26歳の竹内は難病の「チャーグ・ストラウス症候群」の可能性を疑われる中で

「今できる精一杯」でつなぎ、28歳の伊東は「絶対に悔いのないように」と

左膝痛をおして飛んだのです。

41歳の葛西は「後輩たちにメダル獲らせてあげたかった」と

涙ながらに語り、原田、船木と並び3つ目の「五輪のメダル」を手にしたことに

「レベルが高い今季にメダルを取れたことは長野のメダリストより価値があると思う。

中身は僕が勝っている」と、誇らしく語りました。

長野五輪以来の団体のメダルは、「運」だけではなく3つの世代が融合して勝ち取った

「誇らしいメダル」でした。

 

フィギュアスケート女子は浅田真央と「バンクーバー五輪・金メダリスト」のキム・ヨナと、

今季世界最高得点をマークした15歳のユリア・リプニツカヤの争いと言われていました。

浅田は武器の「トリプルアクセル」を、フリーで当初の予定だった2本から1本に変え、

代わりに「連続3回転ジャンプ」を組み込んだのです。

2009年の「世界選手権」を最後に成功していませんでしたが、

ソチでの練習では何度も着氷させて調子は上向きでした。

ショートプログラムにあたり、4年前にも経験したはずの「独特の雰囲気」が、

浅田の平常心を乱したのでしょう。完成を目指した冒頭の「トリプルアクセル」を

回転不足のまま着氷すると、降りた右脚に左の靴が当たって転倒。

続く3回転も回転不足。スピードが上がらない中で後半に予定した

連続ジャンプは単発の2回転と大きく基礎点を下げたのです。

SPでまさかの16位に沈んだ後「行かなきゃという気持ちに体がついていかないまま、

滑り出してしまった。緊張をコントロールできなかった」と、感情を抑えて淡々と振り返っていました。

 

そして、見ているものすべてが涙した浅田真央のフリーの演技が始まったのです。

その内容は全種類のトリプルジャンプに、

トーループコンビネーション&ループコンビネーションの連続3回転組み込んだ

「8トリプル」という素晴らしい演技でした。

トリプルジャンプの全てを極めた「フィギュアマイスター」が降臨したのです。

過去の減点方式だったら恐らく最高評価の内容でした。

現行の加点方式に移行して10年位経つので、以前のルールの慣行を

知らない人達も多いかも知れませんが、

以前は全種類ジャンプを飛ぶ事が「誉れ高いスケーター」であり、高い採点になる基準でした。

苦手なジャンプが無く、あってもそこから逃げないことが

「ジャンプを極めたスケーター」と言われた時代、

浅田は史上初めて、「トリプルアクセル」も含めて全ての

「トリプルジャンプ+セカンドトリプルジャンプ」を完成させたもう一人の「レジェンド」です。

 

結果的にメダルには届かなかったものの、この「8トリプル」は金メダルよりも凄く、

強烈なメッセージを与えました。

「真央ちゃんがこれ以上無い難度の演技を完成させたのに、何でフリーの点数が

一番じゃないんだ、採点基準ってどこにあるの?」と、思った方も多いことでしょう。

採点の疑問は「バンクーバー五輪」の時もありましたが、

あの時は浅田が2つミスをしたため、今回より反応は小さなものでした。

今回フリーで「バンクーバー五輪」のフリーより基礎点高い

プログラムをミス無く滑ったのですが、何故それより高い点数が、

キム・ヨナをはじめ上位選手に与えられたのでしょう?

 

浅田真央が「トリプルアクセル・8トリプル」にこだわり、

アスリートとして堅持したかったプライド、

さらにはフィギュアスケーターとして「ありたい姿」がそこにあったのです。

「バンクーバー五輪」までに、浅田が受けて来た

「悲しい仕打ち」について知る方は少ないはずです。

当時トップジャンパーの安藤&浅田向けと見られても仕方ない、

度重なるジャンプのルール改正がありました。

2007年世界選手権に安藤美姫と浅田真央が1、2位となり、

キム・ヨナが3位に敗れた後、トリプルルッツとトリプリフリップの

エッジの踏みわけが区別され、浅田が踏むエッジからの飛び方を減点としました。

当時、浅田が1試合3回使う最大の得点源であり

3回転で一番基礎点の高いトリプルルッツが不正扱いとされたのです。

1度のジャンプにつき平均2,3点という大きな減点ななり、

その結果トリプルルッツは封じ込められたのです。

 

翌シーズンからは回転不足の厳格化が発表されました。

当時、安藤と浅田しか飛べなかった「セカンドトリプルループ」が認定されなくなり、

封じ込められてしまったのです。

またその直後に、踏切ルールはエッジの左右が通常だった

フリップジャンプが「踏切がつま先ではなくブレードを使っいる」という、

完全に日本選手を標的とする理由で、

また不思議なことに韓国でルール改正が決まり、減点されることになりました。

その後は、矯正しても減点ジャッジが消えず、

度重なるジャンプ矯正によって全てのジャンプが崩れ、

ほぼ全てのジャンプを封じ込められて臨んだのが

「バンクーバー五輪」だったということです。

 

「バンクーバー五輪」後、全てのジャンプを見直す為に基礎からやり直し、

ルール改正とともに減点対象となってしまった「トリプルアクセル」を封印することになり

「ジャンプを基礎から見直したい」と取り組んだ理由はここにあるのです。

幼少の頃から体に染み込ませて来たジャンプを、

本番直前に変えることを余儀なくされた浅田の心情は計り知れません。

現在のルッツのエッジエラー判定や回転不足判定は、

浅田がシニアに来てから作られたルールです。

封じ込められてもその全てを一から矯正し完成させた

「史上初、女子史上最高難度8トリプル」に感動するのは、

日本人ならずとも当たり前のことでした。

 

難度を下げて「ボーナスでの加点狙い」の選手が上位を占めましたが、

いったい誰が、何のために浅田のジャンプ技術を封じ込めたのでしょうか?

ルール改正がなければ4回転サルコウを史上初めて成功した安藤や、

全てのトリプルを飛ぶ浅田には、さらねる可能性がありました。

このルール改正はフィギアスケートに対する冒涜ともいえるでしょう。

以前、「チームジャパン」が表彰台を独占したことがあるシャンプ競技や

ノルディックスキー複合でもそうですが、日本選手に不利なルール改正があっても、

抗議すらできない協会の体質にも問題があります。

 

浅田が「金メダル」よりもこだわり、強烈なプライドをもって達成した

「夢の8トリプル」には、あの華奢な体から想像し得ないそんな裏話があったのです。

感動を与えてくれた、全て選手に感謝ですが、やはり「スポーツの力」は素晴らしいですね。

困難に出会っても、プライドを持ち「夢」を追い続けたからこそ「レジェンド」となれるのでしょう

ゴルフシーズンも近づき女子ツアーも開幕します

皆さんに感動を届けるプレーヤーが必ず現れるはずです



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