宮里2連勝
サイアムCCで開催された初戦「ホンダLPGAタイランド」に続き、シンガポールのタナ・メラCCで開催された、米国女子 ツアー第2戦「HSBC女子チャンピオンズ」の最終日、通算7アンダー首位タイからスタートした宮里藍が、最終的には3ストローク伸ばし、2位に2打差の 通算10アンダーで優勝を果たしました。宮里は開幕戦に続き2週連続で、LPGA通算3勝目を飾りました。
7アンダー首位の宮里とジュリー・インクスターが共に1番でボギーを叩き混戦模様となりました。2番でも宮里はボギーを叩き、あっさり首位の座を明け渡し てしまったのです。しかし4番から連続バーディを奪い踏みとどまり、後半の11番から6m、12m、5mと長い距離のバーディパットを3連続で決め、再び 優勝戦線に浮上。終盤、10アンダーで首位に並んでいたクリスティ・カーが連続ボギーを叩き脱落し、2打差で上田桃子、横峯さくら、有村智恵、諸見里しの ぶなどが見守る中で優勝を決めました。
優勝した宮里は「今週は首位タイで最終日を迎えたので、プレッシャーもありましたが、勝ててよかった。重みのある1勝です」と先週の最終日に大逆転での勝 利とは違い、周囲から見ても勝てるポジションからのスタートだったため、プレッシャーがかかったラウンドだったと振り返りました。
単独2位が8アンダーのカー。7アンダー3位には申智愛(韓国)、キム・ソンヒー(韓国)、S.ペターセン(ノルウェー)、ヤニ・ツェン(台湾)の4人が 並び、宮里と首位タイでスタートしたジュリー・インクスターは通算5アンダーの9位タイ。同じく最終組でラウンドした上田桃子は、スコアを1つ落として通 算4アンダーの15位タイ。横峯さくらがスコアを2つ伸ばして通算5アンダーの9位タイでホールアウトしました。
宮里藍のLPGAツアーの開幕2連勝は「44年ぶり、史上5人目」と大々的に報じられていました。過去にこの偉業を達成したのは、ベイブ・ザハリアス (1951年)・ルイース・サッグス(1952年)・ミッキー・ライト(1963年)・マリリン・スミス(1966年)の4名のみです。このうち3名(ザ ハリアス、スミス、サッグス)はLPGAを創立した13名のメンバーに名を連ねています。当然ですが全員が世界ゴルフ殿堂入りをしています。
ベイブ・ザハリアスは高校時代にバスケットボールで全米選抜に選ばれ、ほかに水泳、ダイブ、ライフル、ボクシング、ソフトボール投手、テニス……とスポー ツ万能なスーパーアスリートでした。特に陸上競技の成績は素晴らしく、1932年ロサンゼルスのオリンピックに参加し、槍投げと80㍍ハードルでは、世界 新記録で金メダルを獲得。ハイジャンプでも銀メダルを獲得しています。その後、ハーモニカとダンスでショービジネスへ華やかな転身を果たしました。さらに プロバスケットチームの親善試合や、大リーグ・フィラデルフィア・フィリーズで1イニング投げたこともあるスーパーウーマンでした。
ザハリアスがゴルフに転進した当時は、女子のプロツアーが確立されていなかったため、1938年1月、当時のロサンゼルス・オープン(現在のノーザントラ スト・オープン)で史上初となる女子選手の男子試合出場を果たしています。アニカ・ソレンスタムやミッシェル・ウィらが達成できなかった予選通過も2度目 の挑戦となった1945年LAオープンで見事に突破、残念ながら3日目のカットラインで落ちたのですが、続くフェニックス・オープン(現在のウェイスト・ マネジメント・フェニックス・オープン)では77-72-75-80で回り、33位でホールアウトしています。1948〜55年の間に、彼女は通算31勝 をマークしましたが、強靭な下半身を安定させ、身体の動きを抑えたスイングが特徴でした。1938年には、プロレスラーのジョージ・ザハリアスと結婚。し かし1952年にヘルニアを手術、翌年にはガンの手術をしましたが、病魔には勝てず「あなたが打つまで、そのボールは動かないのよ。そして打ったあと、あ なたは、なにも出来ないのよ」の名言を残し、42歳の若さでこの世を去りました。20世紀最大の女性アスリートだったのではないでしょうか。病床の中、彼 女の半生と最後までゴルフ場でプレーし続けた姿は映画化され、ご覧になった方もいるかと思います。
ザハリアスのライバルでもあったルイース・サッグスは1955年から1957年までLPGA会長を務め、現在の新人賞「ルイース・サッグス・ロレックス・ルーキー・オブ・ザ・イヤー」の冠にもなっています。
ミッキー・ライトはLPGA通算82勝を挙げ、88勝を挙げたキャシー・ウィットワースに次いで歴代2位の記録を持っています。後に「歴史上で最高のスイ ング」とまで言われたミッキー・ライトが「ベイブ・ザハリアス二世」と騒がれたのは、彼女がまだ11歳の時でした。9歳から始めたゴルフは、11歳で 100を切り、14歳で70を切ったとされています。スタンフォード大学を卒業している才女ですが、彼女の潜在能力を呼び起こしたのは、ザハリアスのコー チだったスタン・カーテスでした。長身の彼女から繰り出されるスイングは、パワフルで男性並みの飛距離が魅力のプレーヤーでした。1954年世界アマ選手 権優勝、全米女子オープンのベストアマを獲得後、1955年プロに転向しました。1958年には全米女子プロ選手権と全米女子オープンに優勝し、23歳と いう当時の最年少優勝記録を樹立しています。全米女子オープンの4勝(58・60・61・63年)を含む、女子メジャーで13勝している彼女は、左足を痛 めた後、左足だけテニスシューズを履いてプレーしていました。1979年、彼女が44歳の時にコカコーラ・クラシックで当時22歳、後の「女王」ナン シー・ロペスをプレーオフで最後まで苦しめたのが、最後の優勝争いでした。
マリリン・スミスは女子メジャー2勝を含む通算21勝を挙げています。スミスは選手として活躍したほか、米女子プロゴルフ協会内のティーチングプロ部門を 充実させ、世界中にゴルフ教室を広めたことが認められ、1997年日本人初のメジャー制覇を「全米女子プロ」で成し遂げた、樋口久子・日本女子プロゴルフ 協会会長と同じ「生涯業績部門」で殿堂メンバーに選ばれています。
LPGAツアーの開幕2連勝を遂げた選手達がどれだけ凄い選手だったのかを考えると、これからの宮里の活躍も期待できますね。HSBC女子チャンピオンズ は今年で3回目を迎えたのですが、過去2年の優勝者は2008年がロレーナ・オチョア、2009年が申智愛と現在のロレックス・ランキング1、2位の選手 です。今年の大会にはロレックス・ランキング上位55位のうち54名が出場(出場選手63名)していました。
宮里が今年の目標に掲げる「プレーヤー・オブ・ザ・イヤー」を獲得するには、毎試合のトップ10に付与されるポイントを積み重ねていかなくてはなりません。メジャー並みに強豪が揃った大会でのLPGA3勝目は、宮里に大きな自信を与えたことでしょう。


