幸運・不運+失恋=?
109回全米オープンは伏兵のルーカス・グローバーが優勝しました。勝利インタビューでは「僕に流れが向いていたのかも」 と勝因を述べています。PGAツアーではわずか1勝(2005年・フナイクラシック)のみで、今回の全米オープンも、久しぶりに復活したデビッド・デュバ ル同様に、タイガーが優勝したザ・メモリアルの翌日に開催されたコロンバスでの予選会を突破しての出場でした。1960年以降、予選会から出場した選手が 優勝するのは5人目で、2005年のマイケル・キャンベル以来の快挙となりました。ルーカス・グローバーが優勝でき、無名の若手が上位にひしめき、期待薄 だと思っていた矢野東が、一時4位まで上がってきた「流れ」とは、初日のスタート時間の恩恵のことだと思います。
全米オープンがプレーオフではなく月曜まで持ち越されたのは、1983年大会以来のことでした。土曜までずれ込んだ予選ラウンドのプレーが進行していたと き、上位陣を示すリーダーボードに変動がなかったのは、その時プレーしていた選手達がタイガー・ウッズや今田竜二を含む「木曜午前スタート組」だったから です。彼らは初日の雨がとても激しく、最悪なコンディションの中ハーフを回り、スコアを伸ばすことができなかったのです。逆に、その段階でリーダーボード の上段を占めていた選手たちは、木曜にはまったくプレーせず、晴天に恵まれた金曜に1.5ラウンドをプレーした選手達でした。晴天でスコアを伸ばし、予選 ラウンドで上位につけることができたわけで、彼らは天候に恵まれた「幸運な選手達」でした。逆にタイガーや今田は、いわば「不運な選手達」で、スタート時 間の違いがはっきり順位に表れたUSオープンでした。今田は「それは言ってもしょーがないことです、これだけ雨が降って荒れたコースを、ここまで整備した USGAがすごい」と、予選落ちした直後でも、優等生のコメントを残しコースを去りました。
「不運組」タイガーの初日のスコアは74でした。「幸運組」から優勝のルーカス・グローバーと2位タイフィニッシュのフィル・ミケルソンは69とタイガー との差は5打、同じく「幸運組」から2位タイフィニッシュのデビッド・デュバル、リッキー・バーンズは67と初日で7打も差が開いてしまっては文句もつけ たくなるでしょう。タイガーは今田とは対照的に、インタビューで苛立ちを発散させました。「ボールに泥がついたまま打たなくてはならないショットが4回も あった。グリーンがでこぼこなので、カップをオーバーさせたくないけど、グリーンが遅いので強く打たざるを得ない、でも状態が悪いのでオーバーすると返し が難しくなる」などと、不平不満ばかり。最後には「いつもの全米オープンとは違う、今年の全米オープンはレギュラーツアーに近い」なんてことまでコメント してしまったのです。不満を口にしながらも2日目以降、69・68・69とスコアを伸ばし、結局4打差の6位まで追い上げた終盤をみると、タイガーの完全 復活は間違いありません。
一方、2位タイに終わったフィル・ミケルソン、元世界No.1デビッド・デュバル、リッキー・バーンズは再三勝つチャンスを手にしながら、最後の最後で崩れてしまいました。特にミケルソンはこれで全米オープン5度目の2位フィニッシュです。
試合の流れ、時の流れ、ファンとメディアの期待、全てが「ミケルソンが勝つ」ために動き始めた様に感じました。首位と5打差でスタートしたものの、上の2 人が自滅を繰り返し、気付いたら3打差、2打差、そして13番パー5のイーグルで遂に並んだのです。まるで他の140名の選手たちが「勝ってくれ」と願っ ているかのように。勝負の大きな流れを感じたのは私だけではなかったと思います。15番のパーパット、そして17番パー3のティショットのミスが、勝ちき れなかった理由ではないでしょうか。2位フィニッシュ5回はサム・スニード、ボビー・ジョーンズ、アーノルド・パーマー、ジャック・ニクラウスの歴史的ゴ ルファー4名を抜き去り歴代1位となってしまいました。
ミケルソンはゴルフを越えて、病と闘う人たちに夢と希望を与える闘いに挑んでいたのです。妻エイミーさんが闘う乳がん患者だけではなく、病に負けそうに なっている人々や、それを支える家族に、強烈なメッセージを伝えたはずです。エイミーさんは大会期間中、「そのトロフィーを病室に飾りたい」と毎日メール を送っていたそうです。がんと闘う愛妻に、自分の闘う姿を見せることで勇気付けたいという気持ちが、ひしひしと伝わってきました。エイミーさんの手術の経 過次第では「長期間試合に出場しない可能性もある」とミケルソンは公言しています。またしても幻に終わったミケルソンの全米オープン制覇ですが、次のチャ ンスこそ元気になった、エイミーさんと一緒に達成してもらいたいですね。
同じく2位タイのデビッド・デュバルは、2001年の全英オープンゴルフ優勝者です。1999年3月から8月にかけて世界ランキング1位の座にいたトップ プレーヤーでした。PGAツアーでは13勝を挙げていますが、初メジャーの全英オープンを最後に、優勝から遠ざかっています。父親のボブ・デュバルもプロ ゴルファーで、同時期にシニアツアーで活躍していました。
デビッド・デュバルは1995年からPGAツアーに参戦し、1997年10月の「ミゲロブ選手権」でツアー初優勝を果たすと、翌週の「ウォルト・ディズ ニー・ワールド・オールズモビル・クラシック」で2週連続優勝を遂げ、当年度の賞金ランキング30位以内の選手のみが参加できる最終戦の「PGAツアー選 手権」でも優勝と、一気に3勝を記録しました。
1998年には年間4勝を挙げて、初のPGAツアー賞金王になっています。1999年開幕戦の「メルセデス選手権」を史上最少ストローク記録(26アン ダーパー)で制し、3月の「ザ・プレーヤーズ選手権」の優勝により、タイガー・ウッズを抜いて初の世界ランキング1位まで登りつめたのです。当時はデビッ ド・デュバルがタイガー・ウッズの最大のライバルと見られていました。2001年11月に初来日・初出場のダンロップ・フェニックスで初優勝した翌週「太 平洋クラブ御殿場コース」で開かれた「EMCワールドカップ」には、アメリカ代表としてタイガー・ウッズとコンビを組んで出場しました。前年の2000年 大会(アルゼンチン)では、このコンビで優勝を果たしていました。2打差を追う最終18番ホール(パー5、517ヤード)、タイガー・ウッズの“ミラク ル・チップイン・イーグル”でプレーオフに残ったものの、4ヶ国によるプレーオフではアーニー・エルスとレティーフ・グーセンによる南アフリカチームに敗 退し、2年連続優勝はなりませんでした。
デビッド・デュバルは2002年に入ると、左肩や腰などの故障に加え、婚約者との破局などのトラブルが重なり、賞金ランキング80位まで落ち込みました。 当時の彼女との結婚は、その頃の米ゴルフ界では当然のことと思われていました。しかし、プロボーズの答えは「私は転戦生活は嫌。もっと勉強がしたい」と彼 女は大学院に進学し、2人の関係は終わってしまったのです。2003年以後は、極度のスランプ状態に陥っていました。
その後、タイガーのライバルとして浮上したのは、19歳でセンセーショナルなプロデビューを果たし、いきなり全米プロでタイガーと死闘を演じた、スペイン 出身のセルジオ・ガルシアでした。しかしレギュラーツアーでは勝利を挙げても、メジャーではいまだ無冠の勝てずじまい。それでも昨年末には世界ランク2位 まで浮上したのですが、今年はどうも成績が振るわず、世界ランクは4位から5位まで後退。その原因は、グレッグ・ノーマンの娘、モーガン・レイとの恋が3 月に破局したからだと言われています。
「失恋コンビ」の今後が気になりますね。


