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SAMMY'S GOLF CO.,LTD.
Bangkok Studio
日本料理・絆3階
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Klongtan-Nua Wattna Bangkok 10110
MOBILE: 087-906-7272 (日本語)
FAX: 02-259-2662
URL: www.sammygolf.com
E-mail: sammy@sammygolf.com
Open: 12:00~20:00 (月曜定休)

Kankokutei

東京オリンピックの準備 12月1日号

「三井住友VISA・太平洋マスターズ」の最終日は、

谷原秀人が3日目に奪った単独首位の座を守りきり、

2010年「VanaH杯KBCオーガスタゴルフトーナメント」以来となる

3シーズンぶりの勝利を飾りました。

「マスターズ」並のスピードに仕上がったグリーンでしたが、

平均パット率トップの自信からか、無理をせず2パット狙いのゴルフで

1バーディ・2ボギーの「73」とスコアを落としたのですが、

2位の石川遼、近藤共弘、川村昌弘を1打差で振り切り、通算10勝目をマークしました。

 

前半3番パー5でバーディを先行させながらも、

その後はチャンスを活かせずパーを並べ、

2打差の2位から出た同組の川村には6番のパー5で並ばれ、石川にも迫られる展開でした。

15番からの2連続3パットによるボギーで、中盤に後退していた川村との差は再び1ストロークに。

しかし上位陣がことごとくグリーンを外すという難ホール17番パー3では

「風のジャッジが難しかった。距離感が最後までつかめなかった」と振り返っていますが

ショットの好調さを生かし最終組でただ一人パーオン。

そして最終18番は右のセミラフから残り209ヤードの第2打で、

池を避けグリーン左の安全なエリアに運ぶ選択をしました。

「風がフォローだったので、上の段には行かせたくない。攻めるところでもないし、

100%いいところに打てた」。我慢を重ねた末の、最も緊迫した逃げ切りの場面で、

計算通りにスコアをまとめたのです。

 

3年越しの通算10勝目でしたが、若くして一時代を築いた35歳にとっては、

時間のかかった節目の勝ち星でした。

谷原は2004年末に2度目の挑戦でPGAツアーQTを勝ち上がり

2005年に参戦したのですが、腱鞘炎との戦いとなりシーズン終了を待たずに帰国しています。

それまでは練習嫌いを公言していましたが、猛練習を重ね

2006年の「JCBクラシック仙台」で復活の3勝目を挙げています。

2006年の「全英オープン」では、タイガー、S・ガルシア、E・エスルとの優勝争いを演じ、

最終的には5位タイに入りました。

その後も勝ち星を上げていたのですが3年前に発症した肩痛は深刻でした。

 

もともと鋭い肩の使い方が、谷原のスイングの特徴でしたが

「自分の納得いくショットができていなかった。飛距離も落ちた」と

肩をかばうスイングに苦しんだ様です。

しかし「グリーンに乗らないから、逆にリカバリーはうまくなった」と語るように、

昨年、そして今年も平均パット部門で全選手中トップの数字を残しています。

「ティショット、アイアンがある程度真っ直ぐ飛べば、という自信があった」と、

自身のスタイルを見つけた結果が出ましたが、鋭く柔らかい肩の回転が戻ってきました。

「これで自信をつけて、昔のように2、3勝できるようになっていきたい」と、

晴れやかな優勝インタビューでした。

 

首位と5打差の4位から逆転を狙った石川は5バーディ、2ボギーの69で回り、

入れば首位に並ぶ6メートルのイーグルパットは、カップ左に外れ、

通算12アンダーと1打及ばず2位で、大会連覇&ツアー通算11勝目は叶いませんでした。

2日目は2度の池ポチャ、3日目は浅瀬で跳ねて池を逃れたものの、

過去何度もドラマを作ってきた18番でスコアを伸ばせなかったのが響きました。

首位の谷原と5打差の4位からスタート。1、3、6、11番とバーディを重ね、

2打差まで迫って終盤に入った段階では「メークドラマ」の予感を抱かせました。

しかし14番パー4で1,5メートルのパーパットをミスし、その後もバーディを決められず、

17番228ヤード・パー3は4Iでの第1打をグリーン右に外してボギーと追い上げに失敗しました。

「低い球で手前から転がそうとして、スイングが守りに入った」と、

そこからのアプローチは下り傾斜で大きくオーバーしてボギー。

イーグルを狙い攻めた18番については「18番はマネジメント通りで、

イーグルパットを打つことができたまではよかったのですが」と、

終わってみれば1打差だっただけに「悔いの残るラウンドになった」と語りました。

 

グリーンの速さを示すスティンプメーターは13,75フィートという超高速グリーンと、

めまぐるしく変わる風に苦しんだラウンドでしたが

「14番は一番速いラインと分かっていたのに、タッチを合わせられなかった。

18番は見た目より左に切れた。何回もやっているグリーンなのに、何で読めないのかな」と、

過去2勝、プロ転向後はすべて8位以内と得意なコースで優勝という結果はでませんでした。

V争いに加わり続けた4日間を終えて「ティショット、アイアン、アプローチ、

パットともよくなっている。来週以降も楽しみ」と、21日からの

「ワールドカップゴルフ」以降の活躍も期待できそうです。

 

「ワールドカップゴルフ」は、72ホールの個人戦と、

2人の合計ストロークで争う国別対抗戦で、

日本代表としては今大会優勝の谷原と組み「日本代表」として戦いますが、

谷原は 「1、2フィニッシュできたので、これ以上ない仕上がりだと思う。

2人でがんばりたいです」と語っていました。

「ワールドカップゴルフ」はゴルフを通じた世界各国の善隣友好を願った

カナダ人実業家ジョン・ジェイ・ホプキンスの提唱により

国際ゴルフ協会が1953年にカナダ・モントリオールの

「ビーコンスフィールド・カントリークラブ」で開催したのが始まりで、

「カナダ・カップ」(Canada Cup)と呼ばれていました。

 

1955年の第3回から開催地はカナダを離れ

1956年の第4回には林由郎と石井迪夫プロのコンビが日本代表として初参加し、

団体で4位を獲得しています。その活躍により翌1957年の日本招致が実現しています。

第5回は、霞ヶ関カンツリー倶楽部で開催されましたが、

日本で初めてのゴルフの国際イベントでした。

この大会で小野光一と中村寅吉プロのチームが団体初優勝、

「寅さん」の愛称で親しまれ、樋口久子や安田春男の師匠でもあった中村先生が個人優勝を飾り、

日本の人々にゴルフを紹介する大きなきっかけとなった大会でした。

1967年に「ワールドカップ」と名称を変更し、

1993年に「ワールドカップ・オブ・ゴルフ」となりスポンサー名を冠に開催されています。

2000年から2006年までは、「WGC・世界ゴルフ選手権シリーズ」として開催されていました。

「WGC」編入期間中は各チームの順位に応じた賞金を2人で半額ずつ分ける分配方法でしたが、

その金額は賞金ランキングに加算されませんでした。

その後、PGAツアーの主張に基づき米国外で開催される

2007年開催以降の本大会は「WGC」シリーズから除外されています。

 

「ワールドカップ・オブ・ゴルフ」のこれまでの歴代優勝回数は、

米国が23度と圧倒的な強さを誇ります。

続いて南アフリカの5度、スペイン、オーストラリアの4度ですが、

日本チームは1957年と2002年の2度の優勝があります。2

001年11月に「日本ゴルフ100年祭」のイベントとして

「EMCワールドカップ」が「太平洋クラブ御殿場コース」に誘致されました。

1901年に日本で最古のゴルフ場として「六甲コース」が建造されてから

100周年の記念行事が多数開催されたのですが、米国代表として

世界ランキング1位のタイガー・ウッズと同3位のデビッド・デュバルが参戦しています。

 

米国チームはプレーオフで敗れ大会3連覇を逃したのですが、

最終日の18番ホールで首位に並ぶタイガーの「ミラクル・チップイン・イーグル」は

強烈な印象を残し、語り草になっています。

4チームのプレーオフになり、アーニー・エルスとレティーフ・グーセンのコンビによる

南アフリカチームが優勝しましたが、日本チームの伊沢利光と丸山茂樹のコンビは

11位に終わっています。しかし日本開催の翌年にあたる2002年、

伊沢と丸山のコンビがメキシコ開催の大会で

日本チームに45年ぶり2度目の優勝をもたらしています。

日本が首位で迎えた最終日は、3日目に57をマークして

一気に浮上してきた米国との一騎打ちとなりました。

 

日本は前半4つスコアを伸ばしますが、米国も1イーグル4バーディで

日本に1打差に迫っていました。最初のドラマは13番パー4で起こりました。

丸山のセカンドショットはグリーンオーバーのバンカー。

伊沢のリカバリーもグリーンを転げ落ち、結局このホールはダブルボギーと逆転を許します。

米国は16番パー4でもスコアを伸ばし、2打差となった日本チームは

窮地に追い込まれる展開でした。しかし、16番パー4、17番パー3と続けてバーディを奪取し、

再び首位と並んだ日本に対し、18番パー4で今度は米国に悪夢が訪れました。

フィル・ミケルソンのティショットは右ラフにつかまり、

「フェースを開いて、左にだけは行かないように打ったんだけど」という

デビット・トムスのセカンドショットは、無惨にもグリーン左のハザードへ打ち込み、

米国は土壇場でまさかのダブルボギー。


最終組の日本チームは「セカンドショットを打つ前に、

米国がダブルボギーを打ったとギャラリーから聞いた」と、

18番のグリーンに上がってくる際にボードで米国のスコアを確認して、

早くも優勝を確信して大きく手を挙げたのです。

丸山は「ワールドカップはサッカーだけじゃない。

日本選手、日本ツアーへの見方が変わると思うし、

僕たちみたいに世界で活躍したいと思ってくれる子供たちが、

どんどん増えることを願っています」と優勝のコメントを出していますが、

現在活躍している若手プレーヤーに大きな影響を与えたことは間違いありません。

今大会からは「ISPSハンダ」がタイトルスポンサーとなり

「ISPS HANDA World Cup of Golf」という名称となりました。

「ISPS」会長である半田晴久氏は、1988年に日本に初めて

ブラインドゴルフ(視覚障害者によるゴルフ)を紹介した

「日本のブラインドゴルフの父」として知られています。

ブラインドゴルフは、ベトナム戦争における米国傷痍軍人の

メンタル・リカバリーのために始まったもので、現在では、

英語圏を中心に世界的に活動が広がっています。

国際スポーツ振興協会「ISPS」のコンセプトは

「スポーツには、希望を生み出し、人々を動かして社会を変革する力があり、

人々を団結させ、世界中の地域社会に一体感をもたらし平和に役立つ」とし、

ジュニアをはじめ男女シニアの大会を数多く開催しています。

「ISPS」の活動は次世代のゴルファーだけではなく、

さらに大きな広がりを見せそうです。

今大会は「ブラジル五輪」のフォーマットに準じており、

「東京五輪」に向けた準備が、すでに始まっているのです。



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