ルール改正の意味は?
フェースグルーブ(溝)の断面面積及び、グルーブエッジの鋭さ(角度)に関してルール変更を発表しているUSGAに次の用具規制の動きがみられるようです。
USGAとR&Aのルール改正方針とは「"USGAとR&Aが2002年に発表した共同声明の原則通り、ゴルフ用具ルールの目的は、ゴル フの伝統を守り、プレー技術以上の用具依存を防ぎ、プレー技術要素がゲームを通じて優先されることを確保することにある。この使命を達成するために、 USGA用具標準(equipment standard)スタッフは、継続してゴルフ用具技術の調査を継続実施している。」とのことです。
ルール改正スタッフを遊ばせておくわけにいかないので、改正点を無理矢理ほじくり出して、規制しているように感じるのは私だけでしょうか。
そして次に見つけ出した規制ターゲットとはハイロフトウェッジのようです「USGAとR&Aが最近、ロフトの大きな(high lofted)ウェッジについて調査を実施しています。この調査は、大きなロフトのウェッジ(例えば60度以上)が、グリーン周りのショットを易しくして いる可能性があることを確認するためのものだ。」と発表しました。
メーカーからすればグルーブ規制が強化された後、ゴルファーのスピン増加の要求に応えようとすれば、考えられるのはハイスピンを生ずるロフトとボールの開発でしょう。ゴルファーの要求に応えるメーカーの開発を抑え込もうとしているのでしょう。
米国カリスマゴルフ用品評論家、フランク・トーマス氏は「既に知られているように、USGAはクラブフェースのグルーブサイズ(容積)を約50%減らすこ とを決定した。しかし、この変更の明確な理由及び、そこに問題があるとの証拠は何も示されていない。より重要なことは、この変更が全てのゴルファーに影響 を与え、異なるグルーブ形式が、ラフからのショットでの異なるスピンレートを生むというデータだけが、USGA公式サイト(USGA.org)示されてい るに過ぎないことだ。この情報は実に1988年からわかっていたことだ。書かれていないが多分(推測すると)、過去20年間のクラブのグルーブ仕様が、ゴ ルファー人口の0.001%に過ぎない超エリートゴルファーに、浅いラフからのショットの際、USGAが考えている「あるべきペナルティー」からの救済を 与えているということらしい。
私は三回に分けて、全てのゴルファーに大きな影響を与える変更の証拠提示を依頼した。又、変更後、ゴルフが良くなるという証拠も要求したが、私が求めるような回答は得られなかった。
何故USGAが要求される情報を提供しないでこれを隠そうとしているのかわからない。ゴルフには独裁主義が入る余地はない。
我々が支援し尊敬出来て、ゴルフを治めて行く上で、オープンで透明性のある統治者を必要としている。」とUSGAの説明不足を痛烈に批判しています。
確かに何かがよくなるための改正でなければ、改正する必要はないのではないでしょうか。
ゴルフ規則は罰則ではなく救済法で「プレーヤーの味方」でなくてはならないはずです。
福沢義光の微笑ましいエピソードを紹介します。2001年タマノイ酢よみうりオープン本戦の18番で、通算16アンダーで先にホールアウトしていたのは鈴木亨。福沢は20メートルのイーグルパットをねじ込みトップタイでフィニッシュ。
プレーオフで鈴木を破り、初優勝を果たしたのです。しかしそれ以上に福沢を有名にしたエピソードは1996年フィリップモリス・チャンピオンシップでした。
ABCゴルフクラブ15番ホール(パー5)で福沢が打ったティーショットはフェアウェイ。しかしボールがこともあろうに赤トンボの尻尾を押さえ、頭部にのしかかるようにして止まっていたのです。
そのまま打つと間違いなく頭を直撃し赤とんぼは木っ端微塵になってしまう状況でした。福沢はマーカーのプレーヤーを呼びティペッグ置いてマークしボールをピックアップしました。
赤トンボは難を逃れ、福沢はボールをプレースしてプレーを続けました。しかしホールアウト後の福沢に災いが訪れたのです。翌日から報道のネタになり、1年をかけたUSGAやR&Aを巻き込む裁定問題になっていったのです。
福沢のとった処置は、ゴルフ規則18条「止まっている球が動かされた場合・規則上許されている場合を除き、プレーヤー、パートナー、もしくはこれらのキャ ディーが球を拾い上げたり動かしたりした時・プレーヤーは1打付加するものとする」に該当するとされ、1打罰が科せられました。
成績は1打差で単独最下位の67位となりました。1打罰がなかったら3人が65位タイとなり賞金の差額は2万8800円でした。
JGAの裁定には賛否両論で「あまりにも酷」という人情論、融通論などが寄せられ、赤とんぼの一件はJGAがルール問題としてR&Aに提起、1年後に裁定が下されました。
このケースは18条ではなく19条で処理されるべきであったというのがR&Aの裁定でした。
19条「動いている球が方向を変えられたり止められたりした場合」第1項「動いている球が局外者により偶然に方向を変えられたり止められた場合、罪は無く、その球はあるがままの状態でプレーしなくてはならない」とあります。
では福沢は無罰で65位タイということに?しかし19条には続きがあります。「局外者がいた場合にできるだけ近い場所にドロップしなければならない」となっています。
R&Aは「福沢はプレースしていたため、間違った処置をとっているので2打罰を付加すべきだった」と裁定を下したのです。となると過小申告で失格?しかし委員会の裁定が最終となっており無事に確定したのです。
小さな赤トンボの命を救ったとして、ユネスコが福沢のその行為に対して「ユネスコ日本フェアプレー特別賞」と「国際フェアプレー表彰状」を贈りました。
福沢は96年に念願の初シードを手に入れたものの、翌年シード落ち。プライベートでは、98年に離婚を経験し、また同年には10年間、面倒見てくれた所属先に解雇を言い渡され、優勝の前月には、クラブメーカーからも契約を切られてしまっていたのです。
稼げない時代も、レッスンプロの道は選ばず、「ツアープレーヤーは、ツアーで稼ぐもの」と自らを厳しく律し、努力を続けていました。度重なる試練を乗り越 えてきた福沢は、表彰式で「みなさんも、僕を見て、人生、悪いことばっかりじゃない、と感じてくれたら嬉しい」と、満員のギャラリーに呼びかけたのです。
石川遼・スイング改造
石川遼が米フロリダ州のイニスブルック・リゾートで行われたトランジションズ選手権に参加しました。
大会の1週間前に取り組み始めた新スイングでは不安定さを露呈し「すべてのショットで思い切りよく打てなかった」とインタビューに答えていました。
ぶっつけ本番で臨んだトーナメントでしたが、大会前日の練習でも、新スイングでは右に抜けたり、フックしたりと思い通りに打てず「何千球打ってもまだ違和 感はある。どうしても今までのアドレスに戻っちゃう。無意識にできるには、何万球も打たないといけない」とイライラからクラブを地面に叩きつけ、しまいに は「これだけ一生懸命取り組んでいるのに、思ったように体が動いてくれない」と涙目になっていたそうです。
石川を取材したゴルフライターは「自分の動作を確認してそろりそろりとアドレスに入り、右肩の下がった窮屈そうな姿勢から球をしゃくり上げるように打ち出 した。左右に体重移動してダイナミックに体を回していた以前の姿とはまるで別人。前回の試合からわずか2週間のうちに、石川のスイングはまったく異なるも のに変わっていた。」とリポートしています。
今回の渡米前に父・勝美氏が、岡本綾子やマーク・オメーラらを指導したことで知られるティーチングプロのマイク小西氏に石川のレッスンを依頼したようで す。勝美氏が同氏の著書「ゴルフボディーターンバイブル」を読み、一部を自らのスイング理論にも取り入れていたこともありレッスンすることになったようで す。
2月の米ツアーデビュー戦で海外選手の鋭いスイングを目の当たりにし「今の自分のスイングには満足していなかった」という石川も素直に改造を受け入れ、ドライバー、アイアンだけでなくパッティングの構えも新スイングに即したものに変わっていました。
マイク小西氏のスイング理論が、他のスイング理論と異なっている点はアドレスのポスチャーです。右肩を下げて、背中からお尻にかけてかなりの角度をつけて、お尻を突き出すような形で構えます。
「右肩を下げた形は、高い弾道を生み出す際、高いポイントにターゲットを設定し、打ち出し角度に対して、顔を左上方へ向けながら眺めると自然にできるやや右肩下がりの状態で、スイング軸を右に傾けたアドレスから作る理論」という説明がなされていました。
マイク小西氏は「骨格」とりわけ骨盤や股関節の向きや角度を重要視しています。股関節から前傾することで、それ以上前傾できない位置まで前傾すると、骨盤 は45度まで前傾することになります。左肩を上げて右肩を下げた状態で、両肩を結んだラインと右腕を90度にセットした腕ポジションが、小西理論ポス チャーの重要なファクターです。
石川の右肩下がりの構えは、理想的な骨盤の向きを実現するためには肩のラインが右下がりになるべきという小西理論に基づいて「骨盤の位置→肩のライン」という順序で指導されたのでしょう。
小西氏が「日本のプロでは直せない」というレッスン書を発売したのは1992〜3年頃でした。小西理論を実践したとされる岡本綾子プロは、日本の女子選手 では初めて本格的にアメリカLPGAツアーに参戦し、1982年から1992年の間、計17大会で優勝しました。1987年には、アメリカ人以外で史上初 のLPGAツアー賞金女王にもなっています。
もう一人のマーク・オメーラにとって最高の年となったのは98年でした。年間メジャー2冠となるマスターズと全英オープンに優勝する活躍を見せたのです。
いずれにしても二人とも80年代から90年台に活躍したゴルファーです。当時のクラブはパーシモンヘッド・スチールシャフトの時代で、ドライバーの重さは100匁(375g)、長さは42.5インチの時代でした。
現在市販されているドライバーは290g~320gとなっており、長さも45~46インチのドライバーが大半です。クラブの進化と共にスイング理論も大きく変わりました。
小西理論の上半身のアドレスからの一連の動きは、パーシモン時代のスイング理論だと思っていたので、石川へのスイング指導は驚きでした。
80〜90年代、ドライバーのライ角はなんと!55度と現在のドライバーと比べると超フラットでした。
フェースのソール先端下部(リーディングエッジ)がシャフトの軸線より前に出ている距離をフェイスプログレッション(FP値)といいますが、当時の一般的なウッドは+20㎜以上の「あごが出た」ドライバーヘッドがほとんどでした。
パーシモン(柿の木)を職人が原木から削りだすため、当時はライ角もオーダーが可能だったはずですが、大体が職人任せで、あまり注文する人はいなかったように思います。
当時、ゴルフ場のプロ室には万力がおいてありました。ネックが木のため、シャフトの穴を空けなおしたりしてヘッドの見え方(ライ角・フェースアングル)を調整したり、ヘッドを削りなおすプロはたくさんいました。
メーカーも「クラブいじり」が好きなプロゴルファーに感想、意見を聞き、新製品開発の参考にしていました。
リーディングエッジ「あご」が前に出ているほど、インパクトのタイミングが早くなるためボールの打ち出し角は低く右にプッシュしやすいと言われていました。
上がり難いドライバーをアッパー気味にスイングするため、当時のトッププロでミズノ契約プロ「ジョニー・ミラー」に代表されるような「逆C型」のフィニッシュになるのが良いスイングとされていました。
小西理論は右足のつま先を閉じて、右肩を下げ、左手とクラブを真っ直ぐに伸ばした「逆K型」に構えますが、右サイドが窮屈になり長尺クラブ向きではありま せん。ダウンスイングでは右ひじを右わき腹の前に、リストコック(ため)を保ったまま振り下ろしていくスイングを勧めています。
「逆K型」はドライバーなどの長いクラブでは、バックスイングでシャフトが寝てヘッドが背中側に回りこむスイングになりやすい構えです。ダウンスイングで も左手が浮き、右に体重が残りやすいため、長尺クラブではダフリかプッシュスライスになりやすいスイングプレーンを作りやすい構えだと思います。
ボールに近く立つアイアンの場合「逆K型」のインパクトでの問題点は、ハンドファーストになり過ぎることです。
当時の3Iのライ角は58度で最近の3Iより2度程度フラットでした。また現在のアイアンはフェースアングルが大きく、フェースがかぶるモデルがほとんど で、「逆K型」からのインパクトではシャットフェースになりやすく、ナイスショットは結果として引っかかることになります。
左手の浮いたハンドファーストはインパクトロフトが安定しないため、フライヤーのような飛び過ぎを生みます。
飛びすぎの危険が多く、距離感が合わせにくいスイングで、タイガーもプロ入りしてから「逆Kシャット型」から「Y字オープン型」にアドレスを変えました。
テレビで石川のプレーを見ましたが、キャリーでグリーンをオーバーしたり、30ヤード以上もショートするなど、アイアンの距離感の乱れはひどいものでした。4日間プレーした73人のうちでパーオン率は最下位。フェアウエーキープ率も71位。73人中71位のスコアでした。
ロイヤルトロフィーでの石川のスイングは、右足が流れてトップでシャフトがクロスしているため、欧州の選手よりボールの打ち出しが高く、風の強い欧州ではでは通用しないスイングに感じまた。
小西理論では右足つま先を閉じて、トップでお尻を後方にずらさないよう右足をコイル状にねじるバックスイングから、左足の上に左股関節を固定し、右股関節を押し込むように下半身を使いす。
小西理論の下半身の動かし方は、現在の石川にとって取り組む必要があると思いますが、軸を右に傾けた「逆K型」は背中や腰を痛める危険性があり、この段階で取り組む必要があったのか疑問に思います。