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SAMMY'S GOLF CO.,LTD.
Bangkok Studio
3FL, 593/13-14 Soi Sukhumvit 33/1, Sukhumvit Road., Klongtan-Nua, Wattana Bangkok 10110
MOBILE: 087-906-7272 (日本語)
FAX: 02-259-2662
URL: www.sammygolf.com
E-mail: sammy@sammygolf.com
Open: 12:00~20:00 (月曜定休)

打ちっぱなし(内輪話)

マスターズ2010

2010年、最初のメジャー「マスターズ」が終りました。他のメジャーが毎年開催コースを変えているのに対して、マスター ズは開催時からジョージア州にある「オーガスタナショナルGC」で行われています。「オーガスタナショナルGC」は、「球聖・ボビー・ジョーンズ」と、ゴ ルフコース設計家「アリスター・マッケンジー」との設計によって1934年にオープン、各ホールに植物の名前がついているように、多くの植物の鮮やかな色 彩に恵まれています。芝の「緑」、水の「青」、バンカーの「白」が織りなす景色は、世界でもっとも美しいゴルフコースといわれています。“ホーガン・ブ リッジ”のかかる12番ホールのほか、11番“ネルソン・ブリッジ”、1935年にジーン・サラゼンがアルバトロスを達成した15番ホール“サラゼンブ リッジ”等、偉大なゴルファーの名がついた美しい橋も有名です。

ジーン・サラゼンのアルバトロスは、マスターズ史上に残る、最高の名場面として知られ、70年以上経った現在も語り継がれている偉業です。1920年代か ら1930年代にかけて活躍したサラゼンは、プロゴルファーとして史上初の「キャリア・グランドスラム」を達成した名選手でした。また「サンドウェッジ」 の発明者としても知られています。晩年には彼の名前を冠した「ジーン・サラゼン・ジュンクラシック」のホストとして毎年日本を訪れていました。

オーガスタナショナルGCは、10月半ばから4月上旬までの期間、つまり冬の間だけオープンしています。マスターズが4月に開催されるのも、こうしたオー ガスタの特徴のためです。オーガスタナショナルGCは非常に格式の高いゴルフクラブで、メンバー同伴でなければプレーできません。またメンバーになるのも 至難の技だそうです。2002年に一人の女性メンバーもいないことを問題視した女性団体が、オーガスタナショナルGCに抗議し、また不買運動などを掲げて マスターズのスポンサーなどに、圧力をかけたという騒動がありましたが、オーガスタナショナルGCは、一切の要求を拒絶しクラブの独立性を守ったことがあ ります。

出場選手は前年度、世界各地のツアーでの賞金ランキング上位者や、前年と同年の世界ランキング50位以内となっています。当然、メジャータイトル優勝者も 参加し、招待資格を満たす名手(マスター)しか出場できないことから「マスターズ」は“ゴルフの祭典”として選手達から、最も敬愛されています。

マスターズ史上最多優勝“帝王”ジャック・ニクラウスの6回ですが、特に1986年の大逆転優勝は、マスターズの長い歴史の中でも、最高にエキサイティン グな幕切れでした。ちなみに、そのときニクラウスと優勝を争って敗れたのはグレッグ・ノーマンで、翌年の1987年にはラリー・マイズに恐ろしく難易度の 高い場所から、奇跡のチップインを決められプレーオフで敗退するなど、何度も何度も優勝に手が届きそうになりながら、そのたびにオーガスタの魔女にそっぽ を向かれてしまいました。

タイガーやニクラウスなどの成績からも、ロングヒッター有利といわれることの多いマスターズですが、実際には、ホセ・マリア・オラサバル(2勝)ニック・ ファルド(3勝)、ベン・クレンショー(2勝)ベルンハルト・ランガー(2勝)などそれほど飛距離の出ない選手も複数回の優勝を記録しています。

コース攻略においても、経験が必要とされており、非常に硬く、スピードも非常に速く設定されたグリーンは、フェアウェイ同様の強烈な起伏と相まって、予測 もつかないほどボールが曲がり、難易度が高く、極めて繊細なタッチが要求されます。「オーガスタ」のグリーンは世界のトッププロゴルファーから“ガラスの グリーン”と呼ばれています。

またコースに吹く風も特徴的で、くるくる変わる風向きを読んで、決断しなければならないといわれています。12番ホール「Golden Bell」は155ヤードの短いショートホールで、トッププロならばバーディーチャンスにつけられる距離ですが、風向きが一瞬にして変わる強風が吹くこと で有名です。池越えで、奥行きの浅いグリーンに乗せるのは至難の業で、世界でもっとも難しいパー3のひとつに数えられるほどです。

この12番を含む11番ホールから13番ホールまでは、池に向かって打つ難易度の高いショットが要求されるため、打ったあと神に祈るような気持ちになるこ とから「アーメンコーナー」と呼ばれています。13番ホール「Azalea」は、セカンドショットを池に落とす確率が高いのですが、イーグルも多いホール でもあり、優勝の行方を左右するキーホールになっています。

ガラスのグリーン”の難しさはもちろん、強風やコース自体の難しさ、パトロンと呼ばれる大観衆による独特の雰囲気、毎年ドラマチックな出来事の起こるオー ガスタナショナルGCには“魔女が棲む”と言われています。オーガスタの魔女に愛されたものだけが、優勝者に与えられるグリーンジャケットを手にすること が出来るのです。

今年のマスターズの一番の話題は「不倫・愛人騒動」の主役、タイガー・ウッズの復帰でした。完全無欠でクリーンなイメージだったタイガーが、どのタイミン グで復帰するのか連日メディアを騒がしていましたが、謝罪会見ではメディアを制限し、コメントに対する質問もなしという異例のスタイルでやり過ごし、彼の 周囲の目算では「謝罪して騒動が終息に向かう、できれば3月に1、2試合出場してマスターズを目指す」というものだったのでは、しかし一方的な謝罪会見に 対するメディアの反発が強かったのも事実で、結局は、メディアや野次馬が暴走できないマスターズが、復帰に最適な舞台となったのでしょう。

何故なら、マスターズは通常のトーナメントと違って、実績のない媒体には新たにプレス許可を出さないため、ゴシップ、芸能レポーターなどが入りこむことは ありません。また、ギャラリーも、ダフ屋から1500ドル以上のチケットを購入する以外、過去30年以上前から購入しているようなギャラリーが大半です。 マスターズを楽しむ、ソフィスティケートされたギャラリーがほとんどで、酔った勢いでヤジを飛ばす者は、まずいないのです。

「タイガーは性依存症施設でリハビリ」というニュースを聞いたとき、復帰は思ったよりも早いだろうと感じました。スキャンダルではなく「性依存症」という病気でくくることで、終結させようとしているのは、あまり紳士的ではありませんね。

出場2度目の石川の初日は、硬さが見られたものの、パープレーにまとめ32位と上々のスタートを切りました。2日目はシビアなピンポジションに加えてグ リーンの速さと風の勢いも増し、非常にタフなコンディションでした。そんな中でも13番のパー5でバーディーを奪ったところで通算スコアを1オーバーと健 闘していました。しかし予選通過を意識した途端、自分本来のゴルフを見失い、息もできないほどの鋭い緊張感の中にいるようでした。14番からパットが打ち 切れず、16番を終えて通算3オーバーと後のない状況に追い込まれた段階で、すでに頭は真っ白になっていたでしょう。「自分のゴルフを信じ切れずにその場 その場で対応しようとしたことがいけなかった。最後の方は何をどう考えたらいいのか分からなくて、体もすごく燃えるように熱くて、息もしにくかった」と 語っていました。

予選通過という現実的な目標が、石川の魅力である積極的な攻めの姿勢にブレーキをかけたのです。涙を流したのは、1打届かず予選落ちしたことではなく、1年間の歳月をかけて磨き上げた「石川のゴルフ」を土壇場で貫けなかった心の弱さが悔しかったのでしょう。

「今度は優勝争いすることを目標にしたいですね。僕のレベルだからこそ、それぐらいの気持ちを持たないといけない」と次回への抱負を語りましたが、そもそも石川の挑戦は小学校の卒業文集に書いた「20歳でマスターズ優勝」という「夢」から始まっているのです。
来年も招待されたら、日本の試合と同じような「躍動感に満ちた攻めのゴルフ」を期待したいですね。

メダルの影に企業あり

宮里の活躍や、スター候補生が多い華やかな女子ツアーの方は人気があり、所属契約も継続しているようですが、日本の男子ツ アーは、マスターズまで開催が無いという寂しい状況です。不況のため大手企業のスポンサー離れが続いています。試合数が減り、所属契約を打ち切る企業も多 くなってきています。

プロゴルファーの必要経費で一番高いのは自宅から会場までの交通費です。遠征の場合、飛行機や電車で、ゴルフ場の最寄の駅まで行き、レンタカーを借りて期間中、ホテルとゴルフ場を往復していました。車で移動する際の高速料金やガソリン代もかかります。

宿泊代は一流ホテルに泊まることができる選手から、1泊1万円以下のビジネスホテルを利用する選手とそれぞれでしたが、経費を浮かすために、地元に知人がいる場合などは、期間中その人の家に泊まりながら通う選手もいました。

スポーツ選手ですからやはり量も質も、普通の人とはかなり違う食費も負担なります。昼はゴルフ場で食べる選手が多いのですが、夜は気の合う仲間や地元の知 人との外食になります。当然、話も弾み、アルコールも入ることになりますが、相撲のタニマチのような後援者がいるときは、ありがたくご馳走になったもので す。

現在、試合に出るためのエントリーフィーは、10,500円で試合毎に会場で支払います。会場で決められた時間内に現地登録を済ませ、エントリーフィーを 払わないと試合に出場することができません。ゴルフ場に所属するハウスキャディさんや大会側が用意する学生ゴルフ部員のアルバイトキャディを使う選手は、 1日あたり約1万円を支払います。専属キャディを連れてくる選手の場合、それぞれが契約をしているので一概には言えませんが、基本給として一週間で10万 円前後を払い、ボーナスは選手が獲得した賞金の何パーセントを支払うという形の契約を結んでいます。トッププレーヤーになると専属のマネージャーやトレー ナーを帯同しますので、彼らの交通費や滞在費も別途かかることになります。

1人で行動したとしても少なくても20万円前後、キャディや帯同者がいると40万円以上かかることになります。予選落ちをすれば賞金はゼロ、経費は全て持 ち出しということになってしまいます。トーナメントで40万円を稼ぐには、40位台の順位をキープしていなくてはなりません。賞金から税金(100万円ま では10%、それを超えると20%)と、ツアーに収める特別会費(4%)も支払うことになります。

1週間で経費が40万円かかる選手が、年間25試合に出たとすると経費だけで1000万円かかる計算になります。これに海外遠征などが加わると、経費だけ で相当な金額になります。不景気でスポンサー企業のサポートが少なくなり、選手がゴルフだけに打ち込むことが難しくなってきている状況です。石川、横峰、 宮里をはじめ、実の親がプロゴルファーとして育てた選手達が活躍していますが、企業がスポーツを育てる土壌が失われてしまっています。

韓国企業はスポンサーとして、ゴルフでも大きく貢献しています。財閥の「LG」をはじめ、家電量販チェーンの「ハイマート」や通信機器の「KTF」「SKテレコム」等、プロゴルファーをたくさん抱えている企業もあります。

バンクーバーオリンピックで冬季五輪史上初のスピードスケート500メートル男女制覇という偉業を成し遂げたのは、韓国代表のモ・テボムと李相花(イ・サ ンファ)でした。日本でメダルを期待された選手たちと比べると、韓国のスピードスケート選手たちの活躍は羨ましいかぎりで、ゴルフ意外の競技でも強い韓国 選手の登場に驚いた方も多いと思います。

メダル獲得の総合1位は開催国カナダで、金メダル14個・銀メダル7個・銅メダル5個を獲得しました。韓国は金6、銀6、銅2個の計14個で、これまで韓 国の最高記録だった2006年トリノ五輪(金6、銀3、銅2)を超えて総合5位に入りました。日本のメダル獲得は、トリノでの金メダル一個(荒川静香)を 数では超えましたが、金ゼロ、銀2個、銅3個の計5個と、なんとも寂しい結果に終わりました。

今回の韓国勢の活躍は、スポンサーのサポートのおかげだと思います。7年前、韓国の平昌(ピョンチャン)を破って冬季五輪の開催地に選ばれたのがバンクー バーでした。2003年7月にチェコの首都プラハで行われた国際五輪委員会(IOC)総会で、平昌は1回目の投票で51票を獲得し、バンクーバー(40 票)を11票も上回っていたのです。ところが、2回目の投票では53票にとどまり、バンクーバー(56票)に3票差で敗れたという「苦い経験」がありま す。

当時の冬季五輪誘致のスポンサーの一人、李健熙(イ・ゴンヒ)サムスングループ会長が、1997年 に「夏季スポーツの基本が陸上ならば、冬季スポーツの基本はスケートだ。韓国が冬季オリンピックを誘致するためには、スケート種目を育成する必要がある。 だが、決して性急に考えてはならない。支援が干渉になってはならず、10年間は根気強く投資しなければならない」とサムスンスポーツ団の朴聖仁(パク・ソ ンイン)団長(現バンクーバー冬季オリンピック韓国選手団長)に指示したそうです。

当時レスリング協会副会長を務めていた朴サムスンスポーツ団長は、李前会長の指示を受け、同年8月、大韓スケート競技連盟会長に籍を移し、サムスングルー プはこのときから毎年7億−8億ウォン(現在のレートで約5550万−6350万円)ずつ、選手の訓練費や道具などをサポートしたとされています。オリン ピックなど大規模な国際大会が開かれる年には、支援金をさらに増やし、これまでの支援金の累計は120億ウォン(約9億5200万円)を超えています。

朴韓国選手団長はバンクーバーに出発する前「13年前、李健熙会長の指示で事実上、“バンクーバー・プロジェクト”が誕生したことになる」と述べていま す。「バンクーバー・プロジェクト」とは、スピードスケート、ショートトラック、フィギュアスケート部門で韓国人選手が金メダルを獲得するための計画で、 サムスンの後援金を活用し、スピードスケートやフィギュアスケート選手の底辺を広げようと、有望株のための大会を新設、賞金と奨学金を設けたのですが、キ ム・ヨナはまさにこの大会で3連覇を果たし世界に旅立ったのです。

李健熙会長は冬季五輪が韓国で開催されることを願い「10年計画」を進めたのでしょう。その想いから13年たったバンクーバー冬季五輪のスピードスケートで、男女ともに金メダルを獲得したことで「10年計画」は大輪の花を咲かせたことになります。

また現代・起亜(キア)自動車グループの鄭夢九(チョン・モング)会長はアーチェリーを支援しています。鄭夢九会長は1985年から1990年まで4回に わたりアーチェリー協会会長を務め、現在は名誉会長に就いています。鄭夢九会長はレーザーを活用した、照準器が搭載されたアーチェリー練習用の弓を製作さ せ、その後韓国選手がオリンピックで活躍するようになりました。また、毎年小中学生のアーチェリー選手全員に矢を提供し、代表選手にはメンタルトレーナー まで付けたのです。息子の鄭義宣(現会長)は、オリンピック公園の特設競技場を北京アーチェリー会場とまったく同じセットに作り上げ、実戦を想定した練習 ができるようにし、北京オリンピックに備えました。1984年ロサンゼルス五輪以来、オリンピックだけで30個のメダルを獲得した「韓国アーチェリー」 は、鄭親子の25年に及ぶ大きなサポートの賜物です。

メダルの影には企業や社会のサポートが必要不可欠です。日本経済が今一度立ち上がり、スポーツ選手をサポートするようになってほしいものです。

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