全米オープン
「世界最強最高の選手を決める大会」全米オープンが終りました。「最も難しいコースセッティング」が毎年選手を苦しめます が、大会が始まる4年前から主催するUSGAが、開催期間の6月中旬の、芝の状態、グリーンコンディション、天候などの開催コースの状態を毎年チェック し、本番に合わせてコースを難しく仕上げているのです。
今年の全米オープンの会場は、ペブルビーチゴルフリンクスでした。断崖の地形沿いの海岸線に見事にレイアウトされ、全米で最も優れたコースの一つとされて います。カリフォルニア州モントレー半島地域には、ペブルビーチの他、デルモンテ、スパニッシュベイ、スパイグラスヒル、ポッピーヒルズやプライベート コースのサイプレス・ポイントと名門コースが点在し、世界中のゴルファー憧れの場所とされています。
全米オープンは、通常プライベートコースで開催されるのですが、パブリックコースのペブルビーチが1972年に、異例の全米オープン開催を果たしたので す。その後1982年、1992年、2000年と回を重ね今年が5回目の開催でした。ペブルビーチをはじめポッピーヒルズ、スパイグラスヒルの3コースを 利用し、「AT&Tペブルビーチ ナショナルプロアマ」が1937年から70年以上開催されていることでも有名です。
石川の攻撃的なゴルフが果たして通用するのかも、楽しみの一つでしたが、打ちのめされたとしても、石川がまた一つ成長するための重要な経験になると思っていました。
優勝は北アイルランドのグレーム・マクドウェルでした。アラバマ大学バーミンガム校卒業で現在はフロリダ州レイク・ノナに住んでいますが、大学入学当時、 彼の言葉の『訛り』は相当ひどかったようです。しかしチームメイトのみんなが彼の『訛り』をネタにして冗談を言い合っていくうちに、うまくチームに溶け込 み、当時、注目されていたカミロ・ビジェガス(フロリダ大)やハンター・メイハン(オクラホマ州大)らを差し置いて、マクドウェルは2002年に6勝を挙 げ、大学No.1の称号でもある「フレッド・ハスキンズ・アワード」を受賞したのです。2001年のウォーカーカップ(全米VS英・アイルランドのアマ チュア選手による団体戦)の一員として、大会史上初の英・アイルランドチームの連覇に貢献しています。2001年のウォーカーカップのチームメイトには ルーク・ドナルド、ニック・ドハーティーなどがいて、アメリカには昨年の全米覇者ルーカス・グローバーと豪華なメンバーが参加していました。
最後まで淡々とプレーしていたマクドウェルは、2週間前の欧州ツアーで優勝しています。その好調を「全米オープン」でも維持し優勝しました。過去に出場したメジャーの中では「一度も予選落ちしてない全米オープンは自分に最適だと思っていた」という自信もあったのでしょう。
石川遼は2日目を終え「優勝」の二文字が頭の中に浮かんだことでしょう。石川の胸の中には、初日が始まる前から、その二文字があったようです。優勝争いを 本気で狙っていることをあえて最初は口にせずにいました。マスターズで予選通過を目標に掲げ、目標が達成できそうなポジションから、予選落ちしたこともあ り、今回は優勝争いを心に誓っていたはずです。
しかし、「優勝」の二文字を意識せざるを得なくなった3日目、最終組の1つ前でアーニー・エルスと同組で、2位タイ発進というそのポジションと、全米オープンの決勝ならではの独特のムードが、石川のゴルフに大きな影響を与えてしまったようでした。
最終日も悪い流れは変わらず「ベスト5を目指してがんばろうと思って、大きな目標を持ってやったけど、粘りのプレーが何でできなかった」とコメントしてい ます。リーダーズボードの上位に名前を載せたことは、立派なことです。予選2日間があまりにもすごかったために、期待が高まりましたが、難しいセッティン グで33位は大健闘で素晴らしいことです。
全米オープンは「手前から攻めてパーを拾う戦い」で、バーディを狙うゴルフを理想とする石川が、最終的にどう感じたのか興味がありましたが、石川のコメン トは「結局、バーディを狙っていかないとパーも取れない」でした。今回は優勝争いから脱落したものの、これからも全米オープンでも、バーディを狙うゴルフ を目指していくという頑固さがいいですね。
そして石川は「毎年2桁アンダーのマスターズとイーブンパーの全米オープン。同じゴルフだけど、自分のスタイルを変えなきゃいけない」と言いましたが、こ れは、バーディ狙いのスタイルを変えなくてはという意味ではなく、クラブ選択やコースマネジメントのスタイルを変えるということでした。「今週は4、5 ホールで、アイアンでティショットを打ちました。マスターズでは全ホール、ドライバー。どちらも、すごく好きです」バーディを追求するスタイルは変えず、 しかしドライバーを飛ばすだけでは、攻め切れないコース設定が「世界の舞台」にはあるのだということを理解したのでしょう。時にはドライバーではなく、ア イアンで攻めることも考えられるようになったということで「守る、逃げる」という捉え方ではなく「攻撃」にも別の形があると納得し、コースマネジメントや ゲームマネジメントの重要性に気が付いたのだと思います。
タイガー・ウッズはいまだに「らしさ」を見せていません。スキャンダル騒動からの復帰後の優勝を焦る気持ちは相当高まっているでしょう。離婚問題がクロー ズアップされ、大会期間中には2つの隠し子騒動が浮上し、そちらの方が話題になりました。「タイガーらしさ」は、絶対に勝ちたいと思った試合に勝つことで 証明されてきました。必勝の意識でメジャーに挑み、14勝を挙げてきたタイガーですが、やはり以前のタイガーではないということになるのでしょうか。
4日間でトータル120パットは、全体でランク47位でした。タイガー自身は「上につけたらだめだ。下につけて上りのラインを残すことがカギ」と言ってい たのですが、それよりタイガーのストローク自体に問題がありそうです。先日、コーチを辞任したハンク・ヘイニーは、「タイガーのパットの全盛期は最強だっ た2000年から2001年にかけて。以後、あのころのようなパットは一度もできず、今後も戻ってはこないだろう。あれは一生に一度限りの黄金期だ」と 語っています。なんとも無責任な元コーチの発言ですが、確かにここ一番で入らなくなっています。
離婚問題や隠し子騒動に続きタイガー・ウッズは、成長ホルモン投与問題で告訴されているカナダ人医師、アンソニー・グレア氏の連邦当局捜査に協力して尋問 を受けたことを明かしました。タイガーの話では、グレア氏の治療を受けたことがあるが、かつて一度も能力強化薬剤の投与を受けたことはないと話しており、 グレア医師は彼の膝の手術からの回復を助けるためにブラッドスピニング(血液循環)技術を使ったということです。
選手生命を奪う可能性もあるドーピング問題が、タイガーをさらなる窮地に向わせるのかも知れません。