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打ちっぱなし(内輪話)

石川の挑戦 4月1日号

「AT&Tペブルビーチナショナルプロアマ」を制して、

今シーズン3勝目を飾ったジミー・ウォーカーですが、

これまでシーズン8試合で3勝以上を挙げた選手はデビット・デュバル、

フィル・ミケルソン、タイガー・ウッズの3人しかいませんでした。

昨年10月、今季開幕戦となった「フライズドットコムオープン」で

ツアー188試合目にして初優勝を飾ったJ・ウォーカーは、

5試合後に2勝目、そして1試合を挟んですぐに3勝目と、瞬く間に勝利を重ねたのです。

天体観測が好きで、望遠鏡を自作して星空の写真を撮るのが趣味だという

35歳のプレーヤーは、なにをきっかけとしてブレークしたのでしょう。

J・ウォーカーは自身のスタッツを見ていて驚いたことを語っています。

2012年の累計では、パー3のスコアは+14で48位(平均スコア3.03)、

パー4のスコアは+57で106位(平均スコア4.05)、

パー5のスコアは−127で4位(平均スコア4.62)でしたが

「もしパー4で全部パーが取れていれば1年で約60ストロークも良くなる」ことに、

気がついたといいます。

翌13年シーズンは「パー4でパーを取る」ことを意識した一年でしたが、

パー4スコア:−11で3位(平均スコア3.99)と大きなランクアップとなり、

トップ10入りも5回を数え「フェデックスポイントランキング」は26位と

「キャリアベスト」のシーズンとなりました。


J・ウォーカーは「いつもいいプレーをしようと思っていたし、

それが出来なかったときは動揺してしまっていた。

勝つためには、バーディを山ほど奪って、あれもこれもしなくちゃいけないと思っていた。

でも、時には“パー”が良いスコアだってことに気付いたんだ」と、語っています。

パー4とパー3で攻めすぎていたことを反省し、バーディは「飛距離”と小技」という、

自身の強みを生かしたパー5で狙うというプレースタイルを確立したのです。

「AT&Tペブルビーチナショナルプロアマ」で、J・ウォーカーが3日間で叩いたボギー数は1個で、

グリーンのタッチに苦しんだという最終日に3パットを重ね、5個のボギーを叩いたものの、

全選手中最少のボギー数でした。

自身のゴルフの弱点を、細かく解析して掴んだプレースタイルで、

メジャーでも活躍が期待できそうです。


米ツアー初優勝に手が届きかけた「フェニックスオープン」の松山英樹ですが、

優勝したケビン・スタドラーと松山を隔てたものは何だったのでしょうか。

PGAツアーには、2011年から「ストロークゲインド・パッティング(パットのスコア貢献率)」という

スタッツが導入されています。

一言で言えば「各トーナメントにおいて、パッティングがどれだけスコアに貢献したか」を表す指標で、

04年に“すべての選手のすべてのショットを記録する

「ショットリンク」が整備されて以降、算出可能となったスタッツです。

日本のツアーでは「平均パット」がグリーン上でのパフォーマンスを表す指標で、

これは「パーオンホールでのパット数÷パーオンホール数」で算出されています。

しかしグリーン上のどこに載せたかは考慮されていません。

つまり、ショットが良く、ピンそばにつける回数の多い選手は

必然的に良い数値となり、逆にショットが悪くともパッティング技術でしのいでいる選手の

パフォーマンスは数字に表れにくいのです。


「ストロークゲインド・パッティング」は、パットの距離と

前年度の同距離からのツアー平均パット数、さらに他選手の数値をもとに算出されます。

例えば、2.2メートルからの平均パット数が1.5だとすると、

これを1パットで沈めればプラス0.5ストロークを得たことになり、

逆に2パットだとマイナス0.5、3パットだとマイナス1.5となるのです。

こうして積み上げた数値を、同大会同ラウンドの他選手と比較するのですが、

18ホールを終えてある選手がプラス3.0で、フィールドの平均がプラス1.0ならば、

この選手の「ストロークゲインド・パッティング」はプラス2.0ストロークとなるのです。

「フェニックスオープン」最終日、松山の「ストロークゲインド・パッティング」は

マイナス2.796ストロークという数値でした。

単純に平均値の“0”でプレーができていたならば、

松山の通算スコアは16.796アンダーとなり、

優勝したK・スタドラーの16アンダーを上回っていたことになります。

昨年10月に開幕した13-14年シーズンの、

松山の「ストロークゲインド・パッティング」はプラス0.673でランキング13位となっていますが、

「フェニックスオープン」までは同6位と上位の数値でした。

「フェニックスオープン」でも、初日(0.683)、2日目(1.222)3日目(0.326)と、

連日プラスの数値でした。「パッティングに助けられた2週間だった。

でもそれを最後まで続けられなかったことはすごく悔しいという思いもある」と、

語っていましたが「PGAツアー初優勝」に届かなかったのは

「ストロークゲインド・パッティング」のわずかの差だと言えるでしょう。

 

仙台に住む松山の胸の中には、やはりいつも「東北」そして「被災地」への想いが強い様です。

「震災があって、まだまだ復興はしていない。仮に進んだとしていても、まだまだだと思う。

あれからまだ3年なのに報道もされなくなってきて、寂しい部分もあります。

楽天イーグルスの優勝は、皆が感動した。自分も感動した。チームスポーツだと形になって、

そういう感動を人々に与えられるのかなと思う。

ただ、個人スポーツだとなかなか難しいとも思うんです。

でもその中でも、応援してくれる人を少しでも感動させられるように日々努力したい。

しっかりとそれを忘れずに頑張って、少しでも復興に協力したい」とも語っていますが

「アーノルド・パーマー・インビテーショナル」は、東北福祉大の卒業式に出席するため欠場、

次戦は「マスターズ」ということです。

 

「アーノルド・パーマー・インビテーショナル」に出場する石川は、

当初は次週の「バレロテキサズオープン」をオープンウィークにして

体を休める予定でしたが、エントリーすることを決めました。

2月末の「ザ・ホンダクラシック」から連戦が続いていますが

「しっかり体調管理ができていて、体は問題ない。ここへきてチャレンジする価値があるし、

準備ができている。頑張ろうという気持ちに今はなれる」と語っています。

今年初旬からショットの微妙なズレに悩んでいたのですが、

苦手としていた「バルスパー選手権」の開催コースで、復調の兆しを掴んだ様です。

4月の海外メジャー初戦「マスターズ」出場への強い想いからの選択でしょう。

6年連続での出場を果たすには「バレロテキサスオープン」終了後の

世界ランクで50位以内入りを果たすか、

直前の「シェルヒューストンオープン」で優勝するしかありません。

 

「ヒューストンでの“一発勝負”に賭けるというよりは、

今週トップ10、トップ5を目指して2週間スパンで考える。

とにかくいいプレーをして、ワールドランキングのポイントを重ねたい」と、話しています。

「アメリカでランキングを上げて「マスターズ」の切符を獲るのは、

1年を通してかなり安定したプレーができているということ。

諦めてはいませんが、今週にトップ5、来週にトップ3で

世界ランク50位に入ることもあり得ないわけではないが、

年間フルでプレーして、50位以内で1年を終えて、年明けに招待状が来るようになったら、

本当に自信が持てる」と、残り3試合でオーガスタ行きの切符を手に入れるのは

「奇跡的」なことであることは理解しつつも、2015年以降の「マスターズ」も考えているようです。

 

昨年1月の渡米前、石川は日本国内で精密検査を受けていました。

「左の股関節の外側が疲労骨折になりかけていた状態。

腰よりも左の股関節の方が危ないって言われていたんです」と、振り返っています。

長時間同じ姿勢をとることができず、練習もままならないという、

プロゴルファーとしては辛い、苦い記憶は石川の頭に鮮明に残っている様です。

「骨を支える筋肉がだいぶ弱かった。骨をいきなり強くするのは難しいので、

本当は試合に出ないで、3か月程度トレーニングで筋肉をつけるという話もありました。

でも自分としては、1月の開幕から出たい気持ちがあったので、

試合をやりながら、トレーニングするしかなかった」と、話しています。

状についても「まだ、続けて思いっきり走ることは出来ない状態。

どうしても地面から突き上げられる感覚が、腰の骨を圧迫してしまう」とも語っていたのですが、

地道なトレーニングの成果が現れはじめています。

 

「今は半年ごとの帰国に合わせてMRI検査をするようにしているんですけど、

この前は先生にビックリされた。すごく負担がかかっていた

スイングを改造したのが成果として出ていて、腰の筋肉もついてきた。

スイングにはまったく支障が無い状態で、今までで一番いい状態になっています」と、

練習ができることに喜びを感じているようです。

肉体への負担を軽減するため、スイング中の下半身の無駄な動きを抑え、

ボールに効率的に力を伝えることで、ショットの安定感が増しています。

「連続写真でも、動画を見ても分かるのではと思うんですけど、

今までのスイングは細い軸が1本、いや2本というか、軸自体が“ぐにゃん、

ぐにゃん”になっていた。でも今は左一軸ではないけれど、

真ん中に太い軸があって、それを回せるようになった」と、

スイングにも自信を取り戻し始めており、そろそろ結果が出そうです。

 

「アーノルド・パーマー・インビテーショナル」を欠場することになったタイガーは、

再発リスクを考えてのことでしょうが、石川もそうでしたがケガを抱えてのプレーは

集中力を保つことさえ困難です。

2008年を最後にメジャー大会の勝利から遠ざかっているタイガーは

A・パーマー氏に電話をかけ、長引いている腰の痙攣のため、

ディフェンディング王者としての参加を予定していた大会を欠場する意思を伝えたといいます。

ケガの影響でタイガーがトーナメントを欠場するのは、

過去5年で5度目のことですが、そのうち2度は今年に入ってからのものです。

直近の試合となった「WGC・キャデラック選手権」でも、最終日のタイガーは、

腰痛に悩まされ、歩くのも辛そうで、カップのボールを拾い上げることさえ困難で、

最終日としてはワーストとなる「78」を叩いています。

 

今シーズンのPGAツアーは20代の若手9選手が既に優勝しており、

直近のメジャー16大会を見ても、12選手が「メジャー初タイトル」を獲得している状況です。

現在38歳という年齢が、タイガーの「メジャー復活優勝」を、難しくしている様にも思えます。

タイガーが腰痛による欠場を決断し「マスターズ」での復帰も未定では、

アダム・スコットが「世界ランキング1位」を勝ち取りそうに思えます。

世界ランク1位のタイガーと、同4位のジェイソン・デイが左手親指の痛みにより

欠場を決めたことにより「アーノルド・パーマー・インビテーショナル」に割り当てられる

世界ランクポイントは、減少するため、世界ランク2位のA・スコットが優勝しても、

タイガーを逆転することはありません。

しかし連覇をかけて臨む「マスターズ」で、

A・スコットが「子供の頃からナンバーワンになることを夢見ていた」という、

主役交代がありそうです。

 

二人のレジェンド 3月15日号

数々の感動を与えてくれた「ソチ五輪」でしたが

「41歳のレジェンド・葛西紀明」が「銀メダル」を勝ち取りました。

1本目、2本目とも「ウィンドファクター」という、風の条件でもらえる得点が−1.6でしたが、

これはマイナスの方が飛距離を伸ばすのに有利な向かい風を受けていたという数字で、

葛西にとっては有利な条件で、飛距離を伸ばしたのです。

「金メダル候補」として期待が高かった高梨沙羅は4位に終わりましたが

「ウィンドファクター」は1本目+3.1点、2本目+1.9点と合わせて+5点の加点でした。

これは出場選手中2番目に悪い数字で、飛距離の伸びない不利な

葛西とは対照的な「追い風の中のジャンプ」だったことが分かります。

飛距離の出にくい悪条件の中で攻めた結果、テレマーク(着地姿勢)がきれいに入らず

加点もできなかったのです。

それだけに葛西の偉業は「運」も味方につけた大ジャンプともいえます。

 

日本ジャンプ陣にとっては16年ぶりのメダルでした。

ラージヒルでは世界ランク3位という近年の実績からすれば、

葛西がメダルを取っても不思議ではないのですが、

40代になっても世界とこうして戦えるというメッセージは、

ジャンプ界だけではなく、スポーツ界全体にとっても大きいことでした。

メダルを取ったことで、周りの選手たちは身近な目標が設定でき、

追い越すために切磋琢磨することで、日本国内のレベルが上がることになります。

子供たちにも夢を与えたと思います。これをきっかけに、

ジャンプの競技人口が増えるかもしれません。

今後はメダリストとして、好影響を与えるような活動をしてほしいですが

「金メダル」獲得のために、4年後を目指すことを発表しています。

 

葛西は高校1年で早くも「日本代表」になり、「W杯」や「世界選手権」にも

出場するほどの才能を早くから発揮したのです。

葛西の家庭は決して裕福ではなく、お米も買えないぐらい貧乏で、

妹は血液の難しい病気を抱えていました。

しかしそういう苦労を自分から友人に打ち明けることはなかったといいます。

苦しいことや弱音は一切吐かず、葛西の友人は「楽しいことはパーッとしゃべるのに、

自分のマイナスの部分を表に出そうとしない。妹の病気のことは新聞で知って、

『妹が病気なの?』と聞くと『そうなんだ』とは答えるのですが、

それ以上は聞いてくれるな、という雰囲気を出していました」と、話しています。

そういう姿勢は、練習の取り組み方にも表れていたようです。

監督や先輩に言われてやるのではなく、自分で自分を追い込み、

自ら進んで練習していたといいます。

苦しいトレーニングにも弱音を吐く事はなく「楽しみながら精進する」という

葛西なりのスタイルを身につけています。

この辺りが、まさに葛西をこの年齢まで競技を続けさせ

「レジェンド」たらしめている秘密なのでしょう

。葛西は「僕が金メダルを取れば妹の病気が治るような気がする」と、

語ったことがあります。これまでのアスリートとしての生き方を照らし合わせれば、

最後の最後で葛西を支えているのは「家族への想い」であるに違いありません。

葛西はクラシカルスタイルからV字ジャンプへの移行と、度重なるルール変更、

2度に渡る所属チームの消滅などさまざまな苦労も乗り越えてきています。

また1998年の「長野五輪」は負傷により、ラージヒル団体の

「金メダルメンバー」から外れたのですが、その悔しさを持ち続け、

人生のすべてをジャンプにささげてきたのです。

 

2001年からは減量をスタートし「バンクーバー五輪」前には、

札幌の自宅マンションを改造し、トレーニング室を作っています。

バイクや大腿四頭筋を鍛えるレッグエクステンション、

スクワット専用ベンチプレスなどを設置し、徹底的に肉体をいじめ抜いてきたのです。

想像を絶する12年間の努力の結果、体脂肪率は5~6%と

イチロー並みの数字を維持しています。

ランニングは8~9歳のころから30年以上、欠かしていないという「ストイックの鬼」です。

昨年の後半戦から「もしかしたらトップを狙えるんじゃないか」と手応えをつかんだといいますが、

ここ2~3年泣かされた故障もなく、夏場のトレーニングも充実していたといいます。

毎年変わるスーツのルールにも対応し、経験だけに頼らない柔軟性も兼ね備えて

「日本選手団主将」という立場での「五輪挑戦」でした。


長野での悔しさを葛西は「7割ぐらいは晴らせた」と話し、

残り3割は団体戦にぶつけることを宣言していました。

W杯で「史上最年長優勝」を果たした際に葛西は、

各国のトップ選手に祝福され、思わず涙を流しそうになったそうですが

「オリンピックで泣くべきだなと思って我慢しました」と、笑顔で話していました。

そして「銀メダル」を勝ち取ったこの日も涙をこらえたのです。

「日の丸飛行隊」は、ラージヒルでは葛西に続き、9位に伊東大貴、

10位に清水礼留飛が入り、竹内択も13位でした。

トップ10に3人が入った国は他にはなく、一躍メダル候補となったのです。

「長野五輪」以来の金メダルも期待されましたが、ドイツ、オーストリアが

団体戦での強さを発揮し、リードを広げられる展開でした。

「日の丸飛行隊」は、2チームを残してトップに躍り出た段階でメダル確定、

そして銅メダル。フラワーセレモニーを終えた葛西の目に、初めて涙が溢れました。

 

20歳の清水は「守りに入ったら絶対駄目」と思い切りの良さで勢いをもたらし、

26歳の竹内は難病の「チャーグ・ストラウス症候群」の可能性を疑われる中で

「今できる精一杯」でつなぎ、28歳の伊東は「絶対に悔いのないように」と

左膝痛をおして飛んだのです。

41歳の葛西は「後輩たちにメダル獲らせてあげたかった」と

涙ながらに語り、原田、船木と並び3つ目の「五輪のメダル」を手にしたことに

「レベルが高い今季にメダルを取れたことは長野のメダリストより価値があると思う。

中身は僕が勝っている」と、誇らしく語りました。

長野五輪以来の団体のメダルは、「運」だけではなく3つの世代が融合して勝ち取った

「誇らしいメダル」でした。

 

フィギュアスケート女子は浅田真央と「バンクーバー五輪・金メダリスト」のキム・ヨナと、

今季世界最高得点をマークした15歳のユリア・リプニツカヤの争いと言われていました。

浅田は武器の「トリプルアクセル」を、フリーで当初の予定だった2本から1本に変え、

代わりに「連続3回転ジャンプ」を組み込んだのです。

2009年の「世界選手権」を最後に成功していませんでしたが、

ソチでの練習では何度も着氷させて調子は上向きでした。

ショートプログラムにあたり、4年前にも経験したはずの「独特の雰囲気」が、

浅田の平常心を乱したのでしょう。完成を目指した冒頭の「トリプルアクセル」を

回転不足のまま着氷すると、降りた右脚に左の靴が当たって転倒。

続く3回転も回転不足。スピードが上がらない中で後半に予定した

連続ジャンプは単発の2回転と大きく基礎点を下げたのです。

SPでまさかの16位に沈んだ後「行かなきゃという気持ちに体がついていかないまま、

滑り出してしまった。緊張をコントロールできなかった」と、感情を抑えて淡々と振り返っていました。

 

そして、見ているものすべてが涙した浅田真央のフリーの演技が始まったのです。

その内容は全種類のトリプルジャンプに、

トーループコンビネーション&ループコンビネーションの連続3回転組み込んだ

「8トリプル」という素晴らしい演技でした。

トリプルジャンプの全てを極めた「フィギュアマイスター」が降臨したのです。

過去の減点方式だったら恐らく最高評価の内容でした。

現行の加点方式に移行して10年位経つので、以前のルールの慣行を

知らない人達も多いかも知れませんが、

以前は全種類ジャンプを飛ぶ事が「誉れ高いスケーター」であり、高い採点になる基準でした。

苦手なジャンプが無く、あってもそこから逃げないことが

「ジャンプを極めたスケーター」と言われた時代、

浅田は史上初めて、「トリプルアクセル」も含めて全ての

「トリプルジャンプ+セカンドトリプルジャンプ」を完成させたもう一人の「レジェンド」です。

 

結果的にメダルには届かなかったものの、この「8トリプル」は金メダルよりも凄く、

強烈なメッセージを与えました。

「真央ちゃんがこれ以上無い難度の演技を完成させたのに、何でフリーの点数が

一番じゃないんだ、採点基準ってどこにあるの?」と、思った方も多いことでしょう。

採点の疑問は「バンクーバー五輪」の時もありましたが、

あの時は浅田が2つミスをしたため、今回より反応は小さなものでした。

今回フリーで「バンクーバー五輪」のフリーより基礎点高い

プログラムをミス無く滑ったのですが、何故それより高い点数が、

キム・ヨナをはじめ上位選手に与えられたのでしょう?

 

浅田真央が「トリプルアクセル・8トリプル」にこだわり、

アスリートとして堅持したかったプライド、

さらにはフィギュアスケーターとして「ありたい姿」がそこにあったのです。

「バンクーバー五輪」までに、浅田が受けて来た

「悲しい仕打ち」について知る方は少ないはずです。

当時トップジャンパーの安藤&浅田向けと見られても仕方ない、

度重なるジャンプのルール改正がありました。

2007年世界選手権に安藤美姫と浅田真央が1、2位となり、

キム・ヨナが3位に敗れた後、トリプルルッツとトリプリフリップの

エッジの踏みわけが区別され、浅田が踏むエッジからの飛び方を減点としました。

当時、浅田が1試合3回使う最大の得点源であり

3回転で一番基礎点の高いトリプルルッツが不正扱いとされたのです。

1度のジャンプにつき平均2,3点という大きな減点ななり、

その結果トリプルルッツは封じ込められたのです。

 

翌シーズンからは回転不足の厳格化が発表されました。

当時、安藤と浅田しか飛べなかった「セカンドトリプルループ」が認定されなくなり、

封じ込められてしまったのです。

またその直後に、踏切ルールはエッジの左右が通常だった

フリップジャンプが「踏切がつま先ではなくブレードを使っいる」という、

完全に日本選手を標的とする理由で、

また不思議なことに韓国でルール改正が決まり、減点されることになりました。

その後は、矯正しても減点ジャッジが消えず、

度重なるジャンプ矯正によって全てのジャンプが崩れ、

ほぼ全てのジャンプを封じ込められて臨んだのが

「バンクーバー五輪」だったということです。

 

「バンクーバー五輪」後、全てのジャンプを見直す為に基礎からやり直し、

ルール改正とともに減点対象となってしまった「トリプルアクセル」を封印することになり

「ジャンプを基礎から見直したい」と取り組んだ理由はここにあるのです。

幼少の頃から体に染み込ませて来たジャンプを、

本番直前に変えることを余儀なくされた浅田の心情は計り知れません。

現在のルッツのエッジエラー判定や回転不足判定は、

浅田がシニアに来てから作られたルールです。

封じ込められてもその全てを一から矯正し完成させた

「史上初、女子史上最高難度8トリプル」に感動するのは、

日本人ならずとも当たり前のことでした。

 

難度を下げて「ボーナスでの加点狙い」の選手が上位を占めましたが、

いったい誰が、何のために浅田のジャンプ技術を封じ込めたのでしょうか?

ルール改正がなければ4回転サルコウを史上初めて成功した安藤や、

全てのトリプルを飛ぶ浅田には、さらねる可能性がありました。

このルール改正はフィギアスケートに対する冒涜ともいえるでしょう。

以前、「チームジャパン」が表彰台を独占したことがあるシャンプ競技や

ノルディックスキー複合でもそうですが、日本選手に不利なルール改正があっても、

抗議すらできない協会の体質にも問題があります。

 

浅田が「金メダル」よりもこだわり、強烈なプライドをもって達成した

「夢の8トリプル」には、あの華奢な体から想像し得ないそんな裏話があったのです。

感動を与えてくれた、全て選手に感謝ですが、やはり「スポーツの力」は素晴らしいですね。

困難に出会っても、プライドを持ち「夢」を追い続けたからこそ「レジェンド」となれるのでしょう

ゴルフシーズンも近づき女子ツアーも開幕します

皆さんに感動を届けるプレーヤーが必ず現れるはずです

ソチ五輪 3月1日号

眠れない夜を過ごしているのは私だけでしょうか?

「ソチ五輪」のフィギュアスケート男子フリースケーティングが行われ、

ショートプログラムで首位に立っていた羽生弓弦が日本男子初の快挙となる金メダルを獲得しました。

SPを終えた時点で2位のパトリック・チャンとは、わずか3,93点の差で

「世界選手権3連覇中の王者」に、フリーでひっくり返される可能性は十分にあり、

プレッシャーは尋常ではなかったはずです。

演技冒頭、今季は成功率が低い4回転サルコウで転倒してしまい、

続く4回転トゥループはしっかりと着氷したものの「割と確率の高い」トリプルフリップでまさかのミスと、

この時点で金メダルは遠ざかったように思われました。

その後は大きな演技で失敗もなく、最後まで滑り切ったものの、

首を振りながら演技を終えたのです。

しかし続くP・チャンもミスを連発。4回転トゥループは手をつき、

トリプルアクセルではバランスを崩し、最後のダブルアクセルも失敗し、

この結果、羽生に金メダルが転がり込んできたのです。

「今回はダメだと思っていました。後半になるにつれて足が重くなってきて、

体力もなくなり、マイナスな気持ちも出てきた。

Pがあれだけできたのが大きかったと思います」と、「金メダル」の勝因を語っていました。

 

高橋大輔がバンクーバー五輪で銅メダルを獲得し、

日本に歓喜をもたらした4年前、羽生はまだ15歳でした。

2009年末の代表選考会で6位に入るなど期待の若手でしたが、

1人のジュニア選手に過ぎなかったのです。

011年3月11日の「東日本大震災」では、練習拠点だったアイスリンク仙台と

自宅が大きな被害を受け、それから4日間を避難所で過ごし、

スケートをやめようと考えたこともあるそうです。

「本当に生活することが難しくて、ぎりぎりの状態だったんです。

でも水や食料を供給してもらって、たくさんの人に支えられていると感じた」と、

練習ができない時期、同じ仙台出身の荒川静香をはじめとした

スケーターが開催するチャリティーアイスショーで各地を回り、

そうした中で実感したのは「信じること」の大切さで、

被災者に向けた色紙にその言葉を記しています。

「信じられるものがなくなりつつある。今の日本には、

ひょっとしたらそんな雰囲気もあるかもしれません。

でもやっぱり一人一人の持っている力を『信じること』そのものが大きな力になる。

そう思いたくてこのメッセージを書きました」と、語っています。

同年7月には「アイスリンク仙台」が再びオープンすることができ、

競技を続けられるように支えてくれた人々に恩返しがしたい。

その一心で練習に励んできた羽生は、翌シーズンに大きく飛躍を果たします。

ロシア杯でGPシリーズ初優勝を果たすと、全日本選手権では3位に入り

「世界選手権」への出場権を獲得し、初出場でいきなり銅メダルに輝いたのです。

17歳3カ月での「世界選手権」のメダル獲得は、日本男子では最年少記録でした。

大舞台で結果を残したことにより、注目度も徐々に高まったのです。

 

続く12−13シーズンは、羽生にとってスケート人生の転換期となりました。

12年5月、バンクーバー五輪でキム・ヨナに金メダルをもたらしたコーチ、

ブライアン・オーサーに師事するため、練習拠点を仙台からカナダのトロントに移したのです。

「カナダへ行く決断は非常に難しいものでしたし、

仙台に残っていたいという思いもすごくありました。

コーチを替えるというのは自分にとってものすごく大きな変化でしたし、

言葉の壁は大きかった」と、当時の苦労を明かしています。

友人もいない異国での生活に、慣れない英語での会話。

それでも「信じること」をテーマに2年後に開催される「ソチ五輪」を見据え、

より高みを目指すために必死で練習に打ち込んだ結果、

12年10月の「スケートアメリカ」と11月に行われた「NHK杯」のSPで

当時の「世界歴代最高得点」を更新したのです。

 

五輪前哨戦としてソチで開催された「GPファイナル」でも2位という成績を残し、

さらには年末の「全日本選手権」でも高橋とのハイレベルな争いを制し優勝と、

一気に「五輪」のメダル争いに名乗りを挙げる存在にまで成長を遂げたのです。

そして今季の「GPシリーズ」では、13年10月の「スケートカナダ」

同11月の「エリック・ボンパール杯」ではP・チャンに敗れたものの

「GPファイナル」では、ついにP・チャンに雪辱を果たしたのです。

「今シーズンを通してパトリックと何度も対戦するうちに、

自分のペースというのがいかに大事かが分かりました。

現在は試合に臨む上で良いメンタルコントロールができるようになっています。

パトリックがいなかったら今の自分はなかったと思います」と、

世界のトップと同じステージに立つ「海外経験」の重要さを語っています。

B・オーサーコーチは「数年前から彼のスケーティングを見ているが、

かなり成長、成熟してきている。このプロセスは草が伸びてくるのをじっと見守るようなものだが、

以前との違いが明確になってきた。スケーティングスキルも

スタミナも演技も成長してきたと手応ええを感じている」と、

羽生の成長を認めていました。「日本チャンピオン」として乗り込んだ「ソチ五輪」では、

この大会より新設された団体戦に出場し、P・チャンや

「皇帝」エフゲニー・プルシェンコらを抑えてトップに立ち、

堂々とした滑りを大舞台で披露したのです。

迎えた個人戦は「金メダル獲得」の期待を背負いながら

SPで国際大会では史上初となる100点超え(101,45点)を果たし

首位に立つと、フリーではミスが出たものの何とか逃げ切ったのです。

金メダリストとなり、震災については「本当に何と言っていいか分からないですし、

自分が何ができたかというと、自信を持ってこれができたというものが何もなかったんです。

ただ、五輪の金メダリストになれたからこそ、

復興に役立てることもあるんじゃないかと思っています。

はっきり言って自分の演技には満足していないですし、

トリプルフリップという自分の中では割と確率の高いジャンプをミスしてしまったので、

少し神経質だったというか緊張していたのかなと思います。

でも結果として優勝したという意味では日本人として誇らしく思います」と、

笑顔を見せていましたが、最高の舞台で完璧な演技が出来なかったとこで、

さらなる努力を重ねることでしょう。

「スケートに集中するため」と携帯電話は持たず、昨年12月に「GPファイナル」で

P・チャンに初めて勝った夜は、優勝したのにもかかわらず

朝の5時まで自身の映像を見返し反省したといいます。

目立ちたがり屋で小学校時代の学芸会では、

いつも主役に立候補したということですが

「たくさんの人に見られる方がテンションが上がるし力になる」という

「天性のショーマン」が「被災者への思い」を胸に、努力を積み重ねて掴み取った金メダルでした。


ショートプログラム後P・チャンは「ユヅルは首位に立つ経験に慣れていないはずだ。

どう対処するのだろう」と、プレッシャーを与えるようなコメントをしていましたが、

自身も「五輪」という大舞台で、自分のペースを貫くことはできませんでした。

銀メダルという結果に「がっかりしているが、人生は続いていく。

(スノーボード男子ハーフパイプの第一人者)ショーン・ホワイトでさえ

ミスをするのだから」と自分に言い聞かせるように話していました。

 

SPの11位が響き、5位とわずかにメダルに届かなかった町田樹は

「パフォーマンス的にも完成度の高いものができなかったが、

最後まで懸命に戦ったつもり。かけがえのない大切な方々がぼくをここに導いてくれた。

皆様に感謝している。五輪はこんなに大きい存在なのかと実感した。

もっと自分らしいパフォーマンスを日本の皆様、世界の皆様にお届けしたかったので

正直すごくくやしいが、ここから多くのことを学んで、ここから次の一歩を踏み出したい」と、

最初で最後の「五輪」を語っています。

 

SP4位の高橋大輔は得意のステップで見せ場を作りますが、

4回転ジャンプで両足着氷となり6位でした「満足のいくできではなかったが、

自分自身は精いっぱいできたと思う。これが僕の実力だと改めて感じた。

たくさん、日本から応援も来てくれたし、気持ちを込めて滑ることができたので、

それはよかった。100%ではなかったが、気持ちだけは諦めずにやった。

きついことの方がいっぱいだったが、これが何か次につながる舞台になると思う。

自分にとっては最高のソチだった」と、波乱万丈の競技人生に感謝の言葉を述べました。

 

国内では日本オリンピック委員会が金に300万円、銀に200万円、銅に100万円の

報奨金を用意すると発表していました。

スピードスケート男子500mの金メダル候補だった長島圭一郎や加藤条治が所属する

日本電産サンキョーは金に2千万円、銀に1千万円、銅に600万円と発表していましたが、

半額を自己負担する永守重信会長は「勝ち方で感動したら考える」と、増額を示唆していました。

結果は1本目こそ長島圭一郎が34秒79で3位、

藤条治が34秒96で5位と好位置につけましたが、

2本目は、長島圭一郎が35秒24と大きくタイムを落とし、

合計70秒04の6位と失速。加藤も2本目で好タイムを出したものの、

5位と両雄の意気込みとは裏腹に、メダルには届きませんでした。

 

2006年トリノ五輪以来のメダルゼロの危機を迎えたスピードスケート陣ですが、

実力差を如実に突きつけられている背景には、組織の閉鎖性がある様です。

「日本代表として一緒に合宿に行っても、所属で食事も別だし、

練習で所属外の選手を教えることもない」と、大企業に属さないコーチが語っています。

オランダや韓国などは、国際大会前の練習でも一列に連なって滑り、

女子選手が男子選手の背を追うという「代表一体」で強化を目指すのですが、

日本代表には見られず、所属別に練習時間が分かれることもあるということです。

選手を広告塔とする所属企業ごとの国内争いに必死なため、連携に欠けるということなのでしょう。

 

女子500mで2連覇した李相花らの韓国勢はカナダ人コーチに学び、

中国チームには韓国人コーチがいます。しかし「スピードスケート日本代表」は、

外国人指導者を招いたことがなく、また海外勢との合同合宿もありません。

コーチ陣が「海外勢が想像以上に伸びている」と驚きを隠せないのも、

海外との接点が少なく、情報が不足しているためなのでしょう。

日本サッカーの活躍も、世界のリーグで活躍した選手やコーチの情報力と経験が原動力で、

ゴルフの石川や松山も、早くから海外に目を向けたからこそ活躍できているのです。

環境の厳しい「アジアンツアー」で経験を積んだプレーヤーが、

日本で活躍するのは当然とも言えます。

残念ながらメダルに届かなかった選手たちからも

「大きな感動」をもらえる「ソチ輪」ですが、後半にはどんな「ドラマ」が待っているのでしょう

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