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SAMMY'S GOLF CO.,LTD.
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打ちっぱなし(内輪話)

日本ゴルフ界の将来 最終回

松山英樹は今季国内ツアーのシード権を放棄することを明らかにしました。

世界最大手のマネジメント会社であるIMG社と契約し、

米国内に拠点を探していることですが「米国中心でいきたいので、

国内ツアーのメンバー登録はしませんでした」ということです。

今年も「5試合を達成できる余裕はない」と判断し

、昨年12月末にJGTOに義務を満たせなかったための

制裁金100万円(推定)を支払うとともに、今季シードの放棄を申し出たのです。

「自分の決めたことをやっていきたい」と、

米ツアーに専念して結果を出すための松山なりの回答でした。

 

IMGは石川遼や、テニスの錦織圭も契約しています。

本格参戦1年目の昨季はホテル暮らしで米国内を転戦しましたが、

温暖な気候で、IMGの練習場があるフロリダ州を最有力候補に、

家探しを進めているということです。

 

前回のコラムでも述べましたが、JGTOは昨年3月

複数年シードを取った選手に対し、年間5試合の出場を義務付ける

ルール改正を何の前触れもなく行いました。

主戦場を米国へ移した松山、そして石川の人気をキープしようと

前年までは「0試合」だった出場義務を増やしたのです。

松山がこの「5試合ルール」を初めて耳にした時に

抱いた思いはショッキングなもので「正直に言えば『ああ、もう好きにすれば』

という感じがした」ということでした。

「賞金王」に輝き、米ツアー本格参戦を心に決めていた

13年終盤の心境としては「0試合」でシードを維持できる権利は、

「賞金王」の称号よりもずっと魅力的だったはずです。

 

「『5試合も出られない』というのではなくて、

『おれが取ったはずの資格はどこに行ったの?』と思った。

ゼロ試合でもシードを維持できる資格を取ったのに、

どこに行ったの?って」と、振り返っていますが

出場権にからむツアーのルール改訂には

一定期間の経過措置が設けられるのが一般的でした。

事実、15年から改定される賞金シードは、

新ルール施行の1年以上前に通知があり、

選手たちは「今季の賞金ランク60位以上が来季の第1シード、

61~75位は第2シードになる」という規定のもとで14年シーズンを戦いました。

しかし「5試合ルール」は、開幕前に突然制定され施行された改悪で、

松山が「権利を剥奪された」と感じるのも当然でした。

「ツアー全体として議論があって、5試合というのを確立してやるなら分かる。

でも…そこで、またゼロに戻そうかという話が出ていると聞いた。

もう何をどうしたいのか…よく分からない」と、感想を述べていました。

 

東北福祉大ゴルフ部の阿部監督は

「決められたルールは守るというのが本人の考え。

だから制裁金を支払った上でメンバー登録はしなかった。

そうしたいというので、その通りにさせた」とのことですが

「日本の試合には出たいが、今の自分にはその余裕がない」という言葉通り、

条件を満たせなければ再び懲罰の対象となることを考え、

JGTOからの聴取やメディアからの取材など

周囲の喧騒を避けるための決断だったのでしょう。

JGTOは松山がメンバー登録しなかったことに「残念です」とコメントしていますが、

あまりにも短絡的な決断で、すべてが後手に回った結果です。

これにより全登録メンバーを紹介している2015年のツアーブックから

松山が姿を消す可能性が大きく、JGTOは墓穴を掘ることになりました。

 

松山は「日本ツアーへの嫌気なんかないです。

あるわけない。悪口を言うつもりもない。

当然出たい気持ちはあるんです。

ダンロップフェニックスとか、日本オープンとか

三井住友VISA太平洋マスターズも良いコースだし。

だけど、実際に自分が本気でプレーしたいか、本気でプレーできるかと言うと、

考えて、考えて、どちらかというと『NO』になってしまう時がある」と、

全力で立ち向かえない大きな故障を抱えての転戦を思いだし、

言葉を選んで答えていました。

 

松山は「日本人選手のレベルは低くないと思う。

今年はPGAツアーの選手が日本で多く試合に出ました。

バッバ・ワトソン(三井住友VISA太平洋マスターズ)、

アダム・スコット(日本オープン)、ブラント・スネデカー(ブリヂストンオープン)。

でもその中で、トップ10に入ったのは

ジョーダン・スピース(ダンロップフェニックス3位)だけでしょう。

それを考えたら、日本のレベルは単純に言えば低くない。

その外国人みんなが勝っていたら、

レベルが開いていると言われたって仕方がない。

でも、日本ツアーは彼らがパッと来て、

勝てるレベルではないということじゃないですかね」と、

日本男子選手の世界でのポジションを語っています。

 

しかし「日本人のレベルが低くないというのは、

日本のコースでやった場合の話。アメリカ、イギリスではまた違うと思うんです。

日本の選手がメジャーでアメリカに来て、

みんなが予選を通過して30位以内に入っているかと言われたら、

それもまた『NO』。日本のコースでやっていれば、日本人は強い。

アメリカでやればアメリカで強くなるのは当然だと思う。

もちろん考え方は人それぞれ。けれど、僕はアメリカで勝ちたい、

海外でやっているメジャーで勝ちたい。

だからこっちのゴルフで活躍することが大事だと思った。

それに向けてやってきたし、今もそうしている段階なんです」と、

海外で戦う意義を語っています。

 

同学年の石川に始まった松山世代の近年の活躍は眩しいほどですが、

昨年8月に長野・軽井沢で行われた

「世界アマチュアゴルフチーム選手権」の結果(男子29位)を見ても、

2人よりも若い世代、10代の若年層への強い連鎖にまでは

至っていないのが現状です。

スタート時点からのゴルフ環境の違いも大きいでしょう。

日本では体格がいい子供にはまず野球を始めさせますが、海外では違います。

中国の海南島でゴルフ場の造成をしていた時、

韓国での実績を見込まれ、海南省のゴルフ好きの幹部に

「君のコースの中に施設を作るから体育学校の生徒の中で、

ゴルフに向いている生徒を選抜してほしい」と頼まれたことがあります。

結局その幹部は失脚し実現しませんでしたが、

眼力が強く運動能力に優れた生徒が多く、目移りしたのを覚えています。

良い選手が育つ環境作りは、アジアの方が日本より上なのだと

改めて感じさせられたことを思い出します。

 

寡黙なイメージがあるため意外かもしれませんが、

松山は大の子供好きです。コースでのサインも小さな子を優先し

「励みになるのは子供の声援。自分も子供の頃にテレビを見て、

実際にプロに会って、大きくなった。

いま、そういう子たちがいるというのはすごく嬉しい」と、語っています。

 

日本のゴルフ界を牽引したレジェンドたちに憧れ、夢を描いた松山少年は、

その頃と同じように「松山英樹」に自分の将来を重ねる子供たちが、

たくさん出てくることを望んでいるはずです。

石川も「世界一の舞台で活躍する選手がいないと

子供たちはゴルフに憧れを持たない。

英樹と2人でメジャーのトップ10に入るようじゃないと、

日本の子供たちにインパクトを与えられない」。

またそのためには、もっと多くの日本人選手が

海外挑戦できる環境が必要と語っています。

 

スター不在で人気が低迷している日本男子ツアーですが、

メジャー挑戦を考えると、日本ツアーで頑張ってワールドランクを上げるより、

米ツアーで戦うことに魅力を感じるようになるはずです。

「やれる」という気持ちがわいてくれば、どうしても気持ちが

日本から離れてしまうのは当然です。

 

90年代は、賞金額も試合数も米ツアーとさほど変わりませんでした。

しかし今では試合数の違い(PGAツアー47試合、日本ツアー24試合)、

優勝賞金額も日本の5倍以上(米プレーヤーズ選手権171万ドル=約2億520万円、

日本オープン4,000万円)となると、

米国で夢をつかみたいというのは自然の流れだと思います。

 

日本の男子プロは、世界のフィールドで戦っていかなくてはいけない時代なのです。

競争の激しいステージで下積みを経験して、米ツアー、欧州ツアーに

目を向けていくことが大事だと思います。

「女子ツアーのスポンサーはやりたいが、男子にはそこまでの魅力がない。

グローバルだったらやるけど」というスポンサーが増えています。

日本のトップ企業にしてみれば開催費用など大した額ではありません。

人気選手不在もあって、世界的にビジネスを展開する企業にとって

日本の男子ツアーはニーズに合わなくなったということです。

ジャンボが全盛だった頃のオーラを放つ選手はいません。

青木さんみたいな魅力があるかといえばそれもなく、

見ていてワクワクすることが少なくなっています。

 

ファンやスポンサーに対するホスピタリティーなどは、

PGAツアーに学ばなくてはいけないのに、実行力、行動力、スピードがなく、

問題解決に向けて何を考えているのか、話し合いをしているのか、

努力しているのかが見えてきません。

ツアー自体が選手を軽んじて、リスペクトが感じられないのです。

若い選手に夢を与えられるように、早急に組織改革をすべきです。

シーズン20試合以下になると、世界のツアーから外されることになり、

ワールドランクのポイントが無くなります。

JGTOは本当に気づいているのでしょうか?もう手遅れかもしれません。

 

海外に積極的に進出する選手には、ツアーが中心になって

道を開いてあげるべきです。

そのためには欧州ツアーとの共催の多いアジアンツアーや

ワンアジアツアーとの共催が不可欠です。

アジアを股にかけたツアー規模の拡大しか道はありません。

プロツアーは弱肉強食の世界です。

違った文化の中で経験を積むことでしか生き残れない時代のように思います。

鎖国状態で国内のスポンサーを求めても道は開けません。

アジアとの連携はグローバルなスポンサー獲得に繋がることでしょう、

そうなればアジアをマーケットにしている日本の大手企業も

スポンサーに名を連ねることになります。

石川と松山の二人以外、海外で通用しない現実を、

JGTOは深く受け止めるべきです。

 

通算220回の連載ですが、このコラムで休載とさせていただきます。

スタジオはスクンビット33のホテルロータス向かい側の

「バー絆」の2階に引越しします。

9年以上ご愛読いただいたゴルファーの皆様、

本当にありがとうございました。

これからも皆様のレベルアップのお手伝いができればと願っております。

お近くにお越しの際には是非お立ち寄りください。 Sammy Ohtaka

 

松山ルールと女子ゴルフ 1月1日号

新年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

「ダンロップ・フェニックス」は松山英樹と、米国の超新星ジョーダン・スピース、

そしていまや国内屈指の実力者として認められた岩田寛が終盤まで激闘を演じ、

大いに盛り上がりました。

最後は松山が勝負強さを見せ、岩田とのプレーオフを制して優勝したのですが、

これを受けJGTOの幹部は「松山はツアーメンバー登録さえすれば、

来年も国内男子ツアーのシード権を持てる」と明言したのですが、

松山は来季、日本のシード権を停止されるはずでした。

今季から国内ツアーは、複数年シードを持ち、

海外ツアーのメンバーでもある選手にも、年間5試合の出場義務を課しました。

海外進出初年度は0で、その後も3だった出場義務試合数を増やした改正でした。

 

松山の今季国内ツアー出場は、7月の「長嶋茂雄招待セガサミー杯」と

「ダンロップ・フェニックス」の2試合のみ。

日程的には他の試合にも出場は可能でしたが、

あえて出場試合数を減らし米国に専念したのです。

松山は日米をまたいだ強行転戦で、左手首のケガを悪化させましたが、

日米掛け持ちで疲れを抱えた状態で戦えるほど、

甘い戦場ではないことを痛感させられたシーズン当初でした。

そのため国内5試合の出場を断念し、処分も甘んじて受けるつもりだったのですが、

処分されないことをJGTOが発表したのです。

 

JGTOは「現在のシード資格とは別に、松山は今回の優勝で2年シードを取得した。

だからあらためてメンバー登録すれば、来年も松山はシード選手です」と

説明していますが、新しいシード資格を獲得しても、

出場義務試合数には達しないというのが事実です。

なぜ処分が帳消しになるのかとの質問には「その件については、

予定通り懲戒制裁委員会にはかける」との返事。

しかしその結果を待たない段階で「松山は来季シード権を確保できる」と

言い切ってしまう処分「帳消し」の論理には、首をかしげざるを得えません。

 

「帳消し」が可能なルールがあったと言うなら、7月に「セガサミー杯」で

優勝した石川遼にも、その旨を説明すべきです。

石川もこの時、今回の松山と同様に、新たに国内2年シードを獲得しています。

JGTOの論理で言うなら、石川もこの時点で、

今季の出場義務試合数を達成する必要がなくなったことになります。

しかし石川にはそんな説明はなかったといいます。

そのため日米をまたいだ転戦を重ね、9月の「ダイヤモンド・カップ」出場で

ノルマの5試合に達したのですが、松山の勝利によって

降って湧いたようにこの「論理」が公のものとなりました。

 

ノルマ達成の必要がないと分かっていれば、

石川も日程的にいろいろな選択肢を持てたはずです。

技術的にはまったく不調ではない石川が、終盤成績を伸ばせなかったのは

無理な日程からの「疲れ」が原因のように思えます。

今回のJGTOの発表を、石川はどう思っているでしょうか?

 

松山本人は正々堂々、処分を受け入れるつもりでした。

しかし松山は一昨年の賞金王で、国内5年シードを獲得していますが、

松山にとって海外進出初年度となる14年の国内出場義務試合数は「0」でした。

だからこそ、左手首の痛みと闘いながら、

無理な連戦を続けて「賞金王」を獲ったのです。

それが今年3月になってから、義務試合数が5に増やされたのです。

完治に半年がかかるほど、ケガを悪化させつつ「賞金王」になったのは

「いったい何のためだったのか」ということになります。

 

そんな中JGTOの海老沢会長が「スポーツマンならルールを守ってほしい」と

出場義務の順守を求めるコメントをしたとの報道がありましたが、

松山の胸には、やるせない思いが去来したことでしょう。

松山も石川も、日本のツアーには強い想いを持っています。

それだけに松山は、限られた出場機会となった「ダンロップ・フェニックス」で、

最高のプレーをみせたのです。

それは「勝たなければという重圧は大きかった。

かつてないほどに集中して4日間戦うことができた」という言葉に表れています。

今回の処分帳消し、そして来季のシード権発生を知らされても、

松山は「今年と同じだと思います」と、

来季も「5試合」にこだわらないことを語っています。

 

石川、松山が持つ圧倒的な集客力を、引き続き日本でも発揮してほしいというのが

ルール変更の目的でしょうが、この決定は、

開幕前の3月で2人の主戦場である米ツアーが

中盤戦に差し掛かった時だったこともあり、大きな反響がありました。

日米往復を繰り返して5試合をこなすのは、体力的にも難しいと、

選手の立場からは不満が上がったのですが

「育った場所である日本ツアーに貢献してほしい」という

ツアー側の思惑が対立したのです。

試合数確保に悩むだけに、スポンサーに

「松山も石川も5試合は出る」と約束したかったのでしょう。

しかし2人が最高のプレーをみせ、ゴルフのファン層が拡大することの方が、

長期的に見ればスポンサーに利益をもたらすことになると思います。

 

松山は疲労を蓄積させずケガをしないことで、

目標の「メジャー制覇」を目指し、国内ツアー戦出場の機会にも、

最高のコンディションで臨んで、最高のプレーをみせる。

それこそが日本のゴルフファンを喜ばせる最良の道だと決めている様です。

実は松山が「5試合」を達成しない問題が表面化しはじめた9月に

「米ツアー、欧州ツアーで優勝した選手は、

出場義務試合数が3試合でいい」という見解をJGTOは示しています。

松山と石川はともに「そんな説明は受けていない。そんなルールあったの?」と

首をかしげていたそうです。

そして今回の「シード復活」は、多くの選手、関係者に

「毎度毎度ブレている」と批判されても仕方はありません。

一部では「松山ルール」と呼ばれていますが、

松山にとっては、イメージにかかわる迷惑千万な話です

結局JGTOは、義務試合数を再び減らす方向で調整を始めている様ですが、

スポーツの団体としていかがなものでしょう。

 

どのスポーツ界でも、海外での活躍が選手としての認知度を高める時代です。

希望に満ちた有望株を縛る規定はナンセンスですが、

3月のルール決定直後、フロリダにいた石川は

「僕は5試合なら、自分から出たいと思える、

成長を試せる日本のトーナメントやコースがある。

アメリカのシードが問題なければ、5はギリギリ出られる。

でも英樹はどう思うか分からない。

今はケガもあるわけだし(松山は当時、左手親指を故障中でした)。

自分も去年は腰が痛かった。これから世界に出ようとする選手には足かせになる。

海外で活躍する選手が日本でプレーすれば、

レベルも上がるし盛り上がる。長い目で見れば、

日本ツアーにとって良いルールではないと思う。

まぁ英樹や僕の5年後、10年後なんて、

どうでもいいと思われているのかな」と、本音を明かしていました。

 

ルールを決めたJGTO側は「松山と石川の2人には

承諾を取ってから規定を決めた」という報道もあり

だから一方的に悪者扱いされる現状は不本意だということですが、

いずれにしても、選手とツアーの両者が

良好な関係にあるとは言いがたい状態です。

松山は2試合しか「出られなかった」のか、

それとも「出たいと思えなかった」のか。

真意は本人しか判りませんが、後者であれば残念だし、

根底には意思疎通の欠如があるように思えてなりません。

 

選手とツアー側との溝を埋める地道な努力なくしては、

再び似たような事が起こるでしょう。

日本のゴルフファンを喜ばせたいという、

基本に立ち戻って欲しいものです。

 

日本女子プロゴルフ協会は都内で理事候補者候補選任選挙を行い、

現職の小林浩美会長ら8人を選出しました。

17年はJLPGAが発足50周年となる節目の年で、

小林会長は「今以上に強固な組織をつくっていきたい」と話しています。

さらに、16年リオデジャネイロ五輪、20年東京五輪についても言及し、

「これからの2年がとても重要になる」と語っています。

2015年の国内女子ツアーの試合数は、今年の「37」と変わらないものの、

賞金総額は約5,700万円アップの33億3,300万円となり、

歴代最高金額を更新しました。

来季の女子ツアーは3月から、11月最終週まで39週間で全37試合と、

ほとんど“すき間”がない状態で、下部ツアーも2試合増えましたが、

特筆すべきは6月の「ルートインカップ」が同ツアー初の3日間大会となったことです。

下部ツアーはこれまで2日間大会でしたが、

小林会長は「3日間大会が10試合以上になると、

下部ツアーも世界ランキングのポイント加算対象になる。

だから、他の大会の主催者にもお願いしています」と、その意義を語っています。

またこれまで3日間だった最終プロテストは来年から4日間になりますが、

これも将来を見越してのことでしょう。

 

下部ツアーで優勝すると、レギュラーツアー4試合の出場資格が得られるのですが、

多くのレギュラーの試合と同じ3日間大会に慣れておけば、

すぐに活躍できる期待が高まると同時に、出場選手も世界でのポジションがつかめます。

賞金総額は「ルートイン」の2,000万円が最高で、

開催費用はツアーの約10分の1と、

今後さらに開催希望のスポンサーが増える可能性も十分にあり、

小林会長は最高でも20試合程度に抑える意向ということです。

「あまりに充実して『ここでいいや』と思うようではダメ。あくまで浮浪の場であって、

安住の場ではないんです」と、あくまでもステップアップの戦いに期待しているようです。

 

様々な取り組みが実を結び、女子ツアーの年間試合数は2003年の30試合から、

年々増え続けています。

問題山積の感がある男子ツアーと違い、

試合数だけでなくギャラリー数も増えていることでもその人気は明らかです。

男子ツアーは、昨年の25試合から今年は24試合と減少しています。

プロ野球においても、交流戦の優勝賞金が、

昨年までの5000万円から3000万円に減額になり、

企業によるスポーツへの投資は、全体的に上向きの状況とは言えません。

その中で、女子ツアーの試合数は増加してきたのです。

 

1989年から1992年当時の女子ツアーは、1大会の賞金総額が

3000万円から6000万円で、現在よりずっと安かったのですが、

現在は1大会6000万円から1億4000万円となっています。

これは日本の経済状況がインフレだから上がったわけではありません。

1992年当時と現在で、物価はほとんど変わっていないのです

民間の平均給与などはむしろ下がっている中、

女子ゴルフの賞金額は大幅に上がっているのです。

 

それだけ高い賞金額でも、大会スポンサーが増えてきたというのは、

それだけ女子ゴルフのトーナメントが、企業にとって魅力があるということです。

4月の「バンテリンレディスオープン」で、

女子の日本ツアー史上最年少となる15歳293日で優勝した勝みなみや、

10月のメジャー大会「日本女子オープン」で日本選手最高位の3位になった

17歳の永井花奈といった選手たちが、

プロのスター選手と肩を並べる注目を集め、

ギャラリーの関心の的になっています。

 

本当の意味での選手層の厚さというものが、

いまの日本の女子ゴルフにはあるということなのでしょう。

協会による、新人選手、およびプロ2年目の選手に対する教育の効果も大きいようです。

 

毎年3日間にわたって、ゴルフのルールやドーピング規定、

税金といったプロ選手としての基礎知識だけでなく、

「魅力的なゴルファーになるための演出術」と題して、

外部から専門家を招いて敬語の使い方や礼儀作法、

前夜祭などにおけるレセプションマナーといった、

プロ生活の中でかかわることになる、スポンサー企業の重役や、

メディア、ギャラリーなどさまざまな関係者との接し方について、

セミナーを行なっています。

こうした教育の積み重ねの中から育った選手たちが、

スポンサー企業やギャラリーから、好感をもって受けとめられ、

現在の女子ゴルフの人気を築き上げているように思います。

人気の向上を図りたい男子ツアーも、女子ツアーに学べるところは、

いろいろあるように思えます。

タイガーとコンサルタント 12月15日号

タイガー・ウッズが新たなコーチとの契約を発表しました。

8月にショーン・フォーリーとの契約を解消したタイガーは、

自身のツイッターで「クリス・コモをチームに招くことができた。

僕のスイングについてアドバイスを求めることができてうれしく思う。

早く大会に出場したくて興奮している」と、投稿しています。

発表後、C・コモのウェブサイトにはアクセスが集中し、

一時閲覧できなくなるほどでした。

ダラス郊外にあるグレンイーグルスCCに勤めている37歳のC・コモは、

米国ゴルフダイジェストに「若手ベストコーチ」として紹介され、

トレバ―・イメルマン、ジェイミー・ラブマーク、アーロン・バデリーの指導を担当。

大学では生物力学の修士号を取得しています。

 

タイガーにC・コモを紹介したのは、スタンフォード大時代のチームメートだった

ノタ・ビゲイでしたが「今回のことで彼の人生は劇的に変わる。

クリスは特定の手法を取るというよりも、プレーヤーの長所を生かして、

良い部分を成長させるタイプの指導者」と説明しています。

C・コモは指導者としても優秀なグラント・ウェイトとも

一緒に仕事をしていましたが、G・ウェイトは先日行われた

チャンピオンズツアーのQスクールをトップで通過しています。

 

タイガーは「僕らは、今のスイングの良い部分を残すことにした。

練習を再開させてから1ヶ月間、彼と一緒に取り組んでいる。

クリスは今シーズンを通じて、スイングに関する助言をくれ、

一緒に取り組んでくれる」と、声明を発表しています。

 

ショーン・フォーリーとの関係は4年続きましたが、

メジャーでは1勝もできませんでした。

タイガーは「全米プロゴルフ選手権」で予選落ちを喫して、

フェデックスカップ・プレーオフシリーズ出場を逃して以降の

公式戦に出場していませんが、C・コモは4人目のコーチとなります。

10代の頃からブッチ・ハーモンの指導を受け、

1997年の「マスターズ」では2位に12打差をつけて圧勝し、

2000年から01年にかけてグランドスラムを達成するなど、

03年に関係を解消するまでの間、メジャー8勝を記録しています。

 

次に師事したのはハンク・ヘイニーで、根本的なスイング改造に着手し、

B・ハーモン時代と同様の成功を収めています。

6年続いたH・ヘイニーとのタッグでは、メジャー6勝を達成したほか、

2年間に出場した34大会で18勝を記録。それらの優勝の中には、

2008年にトーレパインズで開催された「全米オープン」も含まれていますが、

左膝の前十字靭帯断裂、そして左足の疲労骨折という

重傷を抱えたままの優勝でした。

08年を最後に、メジャー優勝から遠ざかっていましたが、

H・ヘイニーは、タイガーのセックススキャンダルを期に

2010年5月にタイガーのコーチを辞任しました。

 

H・ヘイニーの辞任後、タイガーはS・フォーリーをコーチに招聘しましたが、

二人の4年間は怪我との戦いでもありました。

2011年にPGAツアーでわずか9大会にしか出場できず、

昨シーズンも7大会の出場にとどまりトップ10入りはありませんでした。

S・フォーリーとのタッグでベストシーズンとなったのは2013年で、

タイガーはツアー5勝をあげ「PGAツアー年間最優秀選手賞」を受賞しています。

タイガーがC・コモを起用した理由は

「スイングに関する共通のビジョンを持っていた」ということで、

C・コモとタイガーは「世界ランク1位・メジャー14勝」を達成した時のスイングを、

取り戻すべきと考えている様です。

 

およそ3ヵ月前に開催された昨シーズンの「全米プロゴルフ選手権」から

実戦を離れていたタイガーは、12月4日からアイルワースGCで開催された

「ヒーローワールドチャレンジ」に出場しました。

大会前、スイングについて「新しいものでもあるし、古いものとも言える。

ジュニア時代のビデオや、上手くボールを打てていた時代のビデオを

彼と一緒に見た。古い映像を、注意深く見てみたんだ。

まだ線が細くて、痩せていた頃に、どうやってあれだけのパワーを

生み出せていたのかを見るのは興味深かった。

どのようにして、あれだけのパワーを生み出していたのか、

その点に立ち返ったんだ」と、新しい取り組みを語っていますが、

次なるスイング改造では、大幅なオーバーホールは無いとのことで、

3人の前任者と共に取り組んだ規模の「大改造」は行わないということです。

 

「スイング改造はもう慣れていることだから、これまでも新しいスイングを

手に入れるまで時間はかからなかった。

とにかくボールを打って、反復練習しないといけない。

特に実戦の場でやってみて、今の状態を見たいから」と、語っていました。

昨シーズンのPGAツアーでは7大会にしか出場できず、

その内4大会では予選落ちを経験。最終日までプレーできたのは2大会のみで、

ベストは予選落ち無しの「WGCキャデラック選手権」での25位タイ。

そして、過去3年で2度目となるフェデックスカップ

プレーオフシリーズ進出も逃しています。

当時と今の状態とを比較し、楽観視している理由を聞かれると、

「あの時は準備が整っていなかった。良いプレーができなかったし、

それは結果が示している。結果に反映されたからね。

あまりにも酷いスコアだったから。だから、数ヵ月オフを取って、

身体を強くしようと思った。それに、前にも話したように、

自分のゴルフスイングをどうするべきかを見つめ直したんだ。

昔の身体の使い方を見たことで、どう変わっていけば良いのか、

答えは簡単に出た」と、振り返っています。

 

S・フォーリーは、タイガーとの関係解消について

「タイガーから連絡をもらって、私達は心と心を通わせる話し合いをもった。

一緒に乗り越えてきたことはわかりあっていた。

私は彼の状態を理解していたし、それは彼も同じだった、

話し合った結果、私達は以前のように必要なコミュニケーションを

取り合っていなかったことに気がついた。

それに、自分達の友情を危険に晒したくもなかった。

私はTW(タイガー)のことが大好きだからね。

今でも話をする間柄だし、その点は私も誇りに思える。

我々は、直面していた問題に洗練された手法で対処した。

そうするのが我々だからね」と、友好的な解消を語っています。

 

タイガーは「ゴルフスイングにおいて実現したいことはあったけれど、

僕の身体が言うことを聞かなかった、本当にスイングを変更したいのか、

そしてどこに向かいたいのかを自問自答した。

数ヵ月考え抜いて、どうしたいかという結論を出した」と、語っています。

 

タイガーは年末に40歳の誕生日を迎えますが

「老いは避けられない。若い頃にやれたことが出来なくなる時がくる。

もう長距離ヒッターとの勝負はできないね。僕の時代では、

290ヤードも飛ばせればロングヒッターだったけれど、

今は320から325ヤードが新しいスタンダードになっている。

バッバ、ウッディ、ダスティンは325ヤードを飛ばす。

彼らはそれだけの距離を稼いでバンカーを越えていくけれど、

僕にはそれだけの飛距離はない。でも、ほかにもゴルフコースを

攻略する方法はある。それこそ、この競技の素晴らしいところで、

齢を重ねてもプレーできる所以。力で相手を打ち負かす必要がないからこそ、

高齢になっても勝てる。力で誰かを負かす必要はない。

ゴルフコースを打ち負かせれば良いんだ」と、大会前に笑顔で答えていました。

 

初日に5オーバーの77をたたき、2日目にスコアを2つ伸ばしたタイガーは、

3日目でようやくスコアをイーブンパーに戻したものの、

「爆発力に欠けていた。スローな展開だったね」と、厳しい口調で語っていました。

3日目の1番ホールを前に嘔吐するほど体調は最悪でしたが、

6バーディ・3ボギーのラウンドでした。

「何時間も吐き続けていた」と明かしたタイガーは、

食べたものがすべて出てしまい、安眠できなかったものの、

棄権するつもりはなかったといいます。

「最初はそこまで良い調子じゃなかったけど、

何とか踏みとどまれる自信はあった。発熱したけど、

ラウンドが進むにつれて体調は良くなった」と、

2日間体調不良に悩まされていたことを語っています。

 

4日間の戦いを終え「いくらか前進した」と語ったタイガーは

「4か月ぶりの実戦で、何の問題もなくプレーできたことは、

回復が順調であるという何よりの証拠だ。試合に出て、

また力強いドライバーを打つことができた。スピードも戻ってきたし、

飛ばした距離をみる限りいい感じだ。ショートゲームに関して、

まだクリアすべき課題が多く残っているのは明らかだ。

でも、試合で痛みを忘れ、ビクビクしないで思い通りにボールを打てることは、

すごい進歩だよ」と、自身への期待をコメントしていますが

「僕が僕らしくスイングできているかどうかを確認し、相談する相手」に

なってほしいということで、タイガーはC・コモを「コーチ」とは呼ばず

「コンサルタント」と呼んでいます。

 

タイガーがホストを務め、世界ランキング上位選手を中心に

ピックアップされた「ヒーローワールドチャレンジ」は

「ダンロップ・フェニックス」で松山に1打差の3位の

翌週「Emirates Australian Open」 を制したジョーダン・スピースが、

最終日もスコアを6つ伸ばして通算26アンダーとし、

初日から一度もトップを譲らず、まるで全盛期のタイガーのような強さで

完全優勝を果たしました。

2位には、首位と10打差の16アンダーで、

世界ランク2位のヘンリック・ステンソンが入りました。

J・スピースは7打差リードの独走首位から最終日も

1イーグル、6バーディ、1ダブルボギーと、

この日のベストスコアに並ぶ「66」をマークして一人旅。

2位に10打差をつける通算26アンダーで悠々と逃げ切り、

初日から首位の座を守りきる「完全優勝」で2週連続優勝を飾りました。

大会ホストのタイガーは「すごいスコアだ。彼がここで見せたプレーは

本当に忘れられないものになる。2年前まで大学にいたなんて信じがたいよ」と、

手放しで21歳を讃えています。

 

日本人として大会に初参加した松山英樹は、

最終日を5バーディ、2ボギーの69で回り、

通算7アンダーの13位でフィニッシュしています。

2014年最後のラウンドとなった最終日、

松山は出だしの1番の2打目をグリーン左手前の土手を使い

ピンそば2mにつけてバーディ発進を決め、

砲台グリーンを見事にピンそば1mにつけた6番からは一気に3連続バーディと、

ショットとパットがかみ合い、上位浮上を予感させてくれました。

しかし後半に入ると、グリーン上でもがく展開に終始。

13番パー5でグリーン右手前からナイスアプローチを見せたあと、

短いバーディパットを外し、続く14番はフェアウェイからの2打目を

グリーンオーバーさせ1罰打からボギーを叩き、上位進出を逃しました。

 

松山は「パットから流れが止まっている部分がある。いいストロークはできているが、

ちょっとしたことがすぐに悪い結果につながってしまっている。

結果に現れないように誤差を縮めていかないと」と、

微妙なラインの読みに苦しんだ4日間でした。

少数精鋭の18選手が集結した大会への出場を名誉に感じつつも

「ショットも良いところもあったが、もう少しチャンスに付けられた。

逆にいい課題が見つかった。これだけ少ない人数でプレーすることはなかなかない。

来年もこのメンバーの中にいられるように頑張りたい」と、

米ツアー初制覇も遂げた14年を振り返り「ケガから始まって、

6月くらいからいいプレーができ始めた。

課題を見つけて、克服すれば結果につながる。

本当にいい一年だったと思う」と、話していました。

 

近日中に一時帰国し、年明け1月のハワイシリーズ

「ヒュンダイトーナメントofチャンピオンズ」が次戦となり、

翌週の「ソニーオープンinハワイ」にも参戦する予定ですが、

新年の活躍にも期待が持てます。

ホストプロとして臨んだ松山 12月1日号

賞金総額2億円、優勝賞金4000万円のビッグトーナメント

「ダンロップフェニックストーナメント」が開催されました。

昨年は、ルーク・ドナルドが2位に6打差をつけて、

大会史上4人目となる大会連覇を達成していました。

L・ドナルドは出場しませんでしたが、代わって海外から参戦したのは

2013年に82年ぶりとなる10代での米国男子ツアー制覇を

果たしたジョーダン・スピースと、2012年の「全米オープン」チャンピオンの

ウェブ・シンプソンでした。

「全米オープン」を制した際にウェブ・シンプソンが使用していたのは

中尺パターでしたが、キーガン・ブラッドリーが2011年に同じく中尺パターで

「全米プロ」を制し、同年の「全英オープン」はアーニー・エルスも中尺で、

また2013年の「マスターズ」はアダム・スコットが長尺で

「メジャー初制覇」を果たしています。

これらのメジャーを次々と制覇した中長尺パターの使い手たちが、

アンカーリング論争を引き起こしたのですが、

禁止する新ルールが施行されるのは2016年1月1日からと、

1年余りに迫った今大会、W・シンプソンが日本で短尺パターをデビューさせました。

 

「試合で使うのは初めてだけど感触は良かった、

最初は少し緊張していたけど、今は第1ラウンドが終わってホッとしている。

終盤にもう少しパットを決められれば良かったけど、

手応えは良かったね」と、10番スタートのW・シンプソンは

前半インで2バーディ。後半アウトは1ボギーで回って

1アンダーの25位タイと、無難なスタートを切っていました。

 

松山が優勝した「ザ・メモリアルトーナメント」で短尺パターを使い始めた

K・ブラッドリーは、「マイナス面は精神的なものだけだね。

みんなが自分を見ていることが分かるんだ。それが一番難しい」と、

周りから注目されることで違う意味での難しさを語っていました。

 

米国メディアやツアー仲間が少ない日本では、

それほど注目されることもないため使いだしたのかもしれませんが、

1月の「ソニーオープン」からは、米ツアーでも

短尺パターを使うつもりだということです。

「結果が良くても悪くても使うよ。ルールが変わる前に、

自分が先に変えるんだ」と、笑顔で答えていました。

何年間も練習して習得した打ち方を変えるのは大変で、

成績が落ち込んだ際には訴訟を起こす構えを見せている

プレーヤーも多い中、とりあえずルールに従う準備を始めているようです。

 

松山英樹は今季国内ツアー2戦目の出場でした。

2012年は2位、昨年は6位に入った「ホストプロ」は、

米ツアー初優勝を経て悲願の大会初優勝に挑みました。

初日は11位発進でしたが、2日目は1イーグル、6バーディ、1ボギーの

64をマークし、一気に単独首位に浮上しました。

1打差の9アンダー2位タイには松山と同組でプレーをして、

そろって最終18番パー5でイーグルを奪ったジョーダン・スピースと、

今季国内ツアー2勝目を狙うホ・インヘが並びました。

2010年大会を制した池田勇太がボギーなしの6バーディで回り、

ブレンダン・ジョーンズとともに通算8アンダーの4位タイでしたが、

3戦連続出場の石川は4バーディ、6ボギーと出入りが激しく

54位タイで辛うじて予選を通過していました。

 

3日目の松山は、最終組でJ・スピースとホ・インヘとのラウンドでした。

前半9ホールは3人合計6バーディでボギーはゼロと

ピンと張り詰めた心地よい緊張感が組全体を包みこんでいました。

つスコアを伸ばして折り返した松山は、10番でフェアウェイからの

第2打をグリーン左のラフに外し、アプローチも2.5mショートして、

この日最大のピンチを迎えますが、このパットを冷静に流し込み

「あのパーパットがすごく大きかった」と振り返っています。

 

首位に並んでいたホ・インヘは12番でドライバーショットを左の林に打ち込み、

前方の木を避けながらドローボールでグリーンを狙おうとしますが、

シャンクして右の林の奥深く打ち込みます。

なんとか球は見つかったものの、木々の間にトゲのある蔦や

下草の生い茂る絶望的な状況でした。

ウェッジで無理矢理フェアウェイ方向に打ったのですが、

その瞬間に手が蔦に絡まり、左手人差し指の付け根からは血が流れ、

両親指も負傷してしまいます。

4打目でフェアウェイに出して5オン2パットのトリプルボギーとし、

その後は止血処置をして残り6ホールを回りきりましたが、

ルールの解釈に問題がありました。

 

「OBの方が良かったです、アンプレヤブルを宣言しても、

横も後ろもドロップする場所がなかったのでそのまま打った」と話していましたが、

アンプレヤブルを宣言すれば最後に打った場所から

1打罰を加えて打てることを忘れていたように思います。

「昔は親に勧められ、その後は強制されて続けてきたが、

今は職業だと思っている」と語っていますが、ヤーデージブックを持たず、

プレーは常に勘頼みで、キャディは楽しくおしゃべりしながら回れれば誰でもよく、

韓国ツアーでは4日間とも9ホールごとに友人にバッグを担がせたという

逸話も残っているそうです。

貿易会社の社長をつとめていた父親は引退していますが大富豪で、

息子はランボルギーニでコースに乗り付け、コンビニでさえカードで支払い、

現金は一切持ち歩かないというのがホ・インへの生活スタイルですが、

自己流を貫くためが故の判断ミスだった様に思います。

 

ホ・インへが「まっすぐ遠くに飛ぶ」というレディースより軽いドライバーは、

長さを今シーズンから46.25インチに伸ばしていますが

「軽いとスイングスピードが速くなり、遠くに飛ぶという理論でやっている。

軽いとボールがあちこちに散る、という点を抑えるよう

コントロールする練習をして、まっすぐ行くようになった」と語っています。

 

PGAツアーへの参戦意欲を問われると「PGAに行って優勝すると

成功者と言われるが、自分はそう思わない。

日本のツアーも韓国のツアーもレベルは高く、

今いるこの場所で頑張りたい」と話していますが、

常にマイペースのキャラクターが際立ち、人気も出てきましたが、

来年は「兵役義務」のため、残念ながら日本ツアーを離れることになります。

 

そのホ・インヘがトリプルボギーを叩き後退した場面で、

11番からの3連続バーディで松山に並んだJ・スピースでしたが

17番でダブルボギーと失速。

松山は14番で2m、最終18番は5mのバーディパットをカップに沈め、

終わってみれば2位との差を2打差に拡げホールアウトしました。

「この3日間、集中できていると思う」と、ホストプロの責任を

強く感じているようでしたが「この試合に勝ちたいので、

そのために2打差で終われたのはすごく大きい」と、

国内ツアーにおいては、最終日を首位で迎えたときに75%、

最終組で迎えたときには80%と高い勝率を誇る松山が、

ツアー通算6勝目を目指し最終日に挑みました。

 

2位で最終日を迎えるJ・スピースとは4日間同組で回ることになりましたが、

招待選手であるJ・スピースが会見場で記者たちと向かい合ったのは、

3日目のホールアウト後が初めてでした。

2週間前に中国で行われた「WGC ・HSBCチャンピオンズ」に出場した

J・スピースは、いったんテキサス州ダラスへ帰国。

宮崎には月曜日の夜に入ったのですが、水曜日の朝に寒気とだるさ、

さらに喉の腫れ体調が急変したそうです。

異国の地で経験する突然の体調不良に戸惑いながらも

プロアマ戦に出場しましたが、ホールアウト後しばらく時間をおいて

予定されていた記者会見はキャンセル。

その夜、J・スピースは38.2度の発熱をし、医師の診察を受けると

咽頭炎と診断された。疲れが原因ということで、

ここまで抗生物質と解熱剤を飲みながら戦うことになりました。

 

J・スピースは「松山と食事に出かける予定もあった」といいますが

それもキャンセルし「体調はよくなってきているけど、朝と夜は少しきつい。

日中は良くなっているし、徐々に回復はしているけど」と、

次週はオーストラリアの試合に出場予定で、

ゆっくりできるのはしばらく先になりそうです。

17番で4パットのダブルボギーをたたいた以外は、ほぼ完璧な内容でしたが

「17番は残念だけど、それよりも最後の18番でのバーディパットを

しっかり打って沈められたことが自信になって明日につながる」と、

最後はバンカーから3mに寄せたスライスラインをねじ込んだことで、

最終日の逆転に望みをつなぎました。

 

迎えた最終日、単独首位から出た松山は2番でバーディを先行させながら、

6番のパー3からの2連続ボギーを叩いてトップから陥落。

その後2バーディを奪い共にトップで迎えた15番、

B・ジョーンズのラフからのセカンドは木の根元へ、

そこからやっと当たっただけのアプローチはラフへ、

4打目はピンの先の下りを意識しすぎグリーンに乗らず。

勝負が決したように思えたのですが、

時間をおかずに打ったB・ジョーンズの5打目は少し強めでしたが

カップに飛び込むラッキー。

ずっと待っていた松山の反対のエッジからアプローチは

大きなマウンドを越えずボギー。

16番もボギーとした松山に対してB・ジョーンズは

2mのバーディパットで抜け出すチャンスでした。

長尺パターで日本ツアーを席巻したB・ジョーンズも、

中尺の短いタイプに持ち替えたばかりでフィーリングが合わないためか

強めに打ったバーディパットは決まりません。

17・18番も決め切れずパーとして悔しい終戦でした。

松山が2連続ボギーとした段階で岩田が18番でバーディを奪い

15アンダーの首位でホールアウトとします。

2ストロークのビハインドで迎えた終盤17番パー3、

松山のティショットはピン奥5mへ。

「17番グリーンで2打差になったことを知った、

絶対にバーディが必要だった」と、5mのバーディパットを

今日1番の勝負どころの軽いフックラインを「イメージ通り」に

スルスルと転がっていった球は、カップ左へ抜けそうになるところを

最後にこらえて、左縁からギリギリで決めガッツポーズ。

 

一打差で岩田を追う最終組の3人の18番パー5のティショットを

フェアウェイ真ん中に置いた段階で松山の勝利は決まっていたのかもしれません。

つかまりすぎたセカンドは手前のエッジをつたわりピン左奥に2オン。

約5mのイーグルパットを沈めることはできませんでしたが、

タップインで2連続バーディ締め。土壇場で、岩田とのプレーオフに持ち込みました。

プレーオフ1ホール目のティショットを右の林に打ち込みトラブルになった岩田に対して、

バンカーから確実に刻み決着をつけしました。

5月「ザ・メモリアルトーナメント」で米ツアー初優勝を遂げた

松山の国内ツアー制覇は昨年11月「カシオワールドオープン以来、

アマチュア時代を含め通算6勝目となりました。

 

最後は先輩に対して敬意を払い、短いウイニングパットを

先に決め「めっちゃうれしい。最近こんなにうれしかったことはない。

ホストプロで勝つというのが今週一番の目標だったので本当に良かった」と、

米ツアーを主戦場とし「世界最高峰の舞台」で常に勝利を求めて

戦ってきた実力を見せつけました。

理解不能なルール改正を無視して、今季2戦目の日本ツアーでしたが、

この優勝で出場試合数の関係で停止される予定だった

賞金王の5年シードに代わり、優勝者のシード権を手に入れ、

来年も引き続き、出たい試合に自らの権利で出られることになりました。

来年「メジャー制覇」の肩書きを持っての凱旋になることが、現実味を帯びてきました。

 

上田桃子の再挑戦 11月15日号

マレーシアのクアラルンプールG&CCで開催された

PGAツアー「CIMBクラシック」の3日目。

4アンダーの18位タイからスタートした石川遼は3バーディ、2ボギー、

1ダブルボギーの73とスコアを落とし、通算3アンダー29位タイに

後退しましたが、高い湿度による体調不良に悩まされたことを語っていました。

3日連続で発生した雷雨による中断の最中、クラブハウスで椅子に

腰かけていた石川は「13番までは大丈夫だったんですけど、

中断で休んだときに途中から体がけいれん、震え出した」と

振り返っていましたが、約2時間半の休憩後は14番で3mを沈め、

17番では第2打をピンそば1.5mに絡めて2バーディを決めて巻き返しました。

しかしホールアウト直後は息も乱れていたそうです。

 

「脱水症状っぽい感じ。水曜日くらいから熱中症のような症状があって、

気をつけなきゃいけないと水分、エネルギーを補給していた」といいますが、

開幕前日、午後のプロアマ戦直前には首に冷えたペットボトルを当てて、

練習グリーンの脇に座り込むシーンもありました。

脱水症状が出た後にスコアを伸ばす結果となりましたが

「14番以降はショット、パットに影響を及ぼすことはなかった。

ただ、フィーリングが出ない感じはありました。落ち着かない、

体重の位置がフラフラしていたところもある」と、話していました。

 

タイで慣れている読者の皆さんも、体中をジットリ包み込むような暑さを

経験したことがおありでしょうが、現地の湿度は連日90パーセント台でした。

「去年のタイ選手権の時も、最終日の朝に熱を出したんです。

体力が不足している」と、振り返っていました。

最終日を3アンダー29位タイからスタートした石川は、

4バーディ、1ボギーの69で回り、米国男子ツアーの新シーズン出場3戦目を

通算6アンダーの26位タイで終えています。

体調不良を訴えたラウンドから一夜明けたこの日は、

午前8時前と早いスタート時間にも恵まれ「きょうはだいぶ楽でした。

涼しかったですし」と、笑顔で振り返りましたが、

ショットの合間にも入念にストレッチを繰り返すなど、

万全の状態とはいかない中、5番までの2つのパー5で

確実にバーディチャンスを決めました。

 

「眼の前の一打に集中してできた。トップも離れていたので、

スコアを気にせずできた」と、ティが前に出て358ydに

設定された打ち下ろしの14番では、ドライバーでグリーン右手前の

バンカーまで運び、2打目の難しい下りのバンカーショットを

1mに寄せてバーディを奪います。

体調に気を遣いながらのラウンドでしたが、

アンダーパーフィニッシュには納得しているようでした。

次のPGAツアー出場は年明けとなりますが、

2014-15年シーズンは開幕4戦で3試合に出場し、

19位、28位、26位の成績でした。

優勝争いこそできませんでしたが、予選落ちがなく地道に

フェデックスカップポイントを稼いだことは来年に繋がります。

 

「この3試合“乗りに乗っているゴルフ”は正直言って、

1回もできませんでしたが、集中力が途切れたラウンドはなかった。

『トゥデイ・3オーバー』となっても、そこから巻き返せた。

そういうところが違う、1年前と比べて成長できたところ」とも語っています。

「HEIWA・PGM CHAMPIONSHIP in 霞ヶ浦」から

年内は国内ツアーに専念、最終戦「日本シリーズJTカップ」まで

5試合連続で出場することになっています。

「ゴルフをやる場所が変わるだけ。ルールも、取り組むことも変わらない。

『日本でやるから勝つ』とか、目標云々を変えるのではなく、

目の前の狙いに打つだけ。真摯に向き合って一打をやっていきたい」と、

日本での連戦に自信を深めての帰国です。

 

最終日を4アンダー22位タイからスタートした松山は

5バーディ、2ボギーの69で回り、通算7アンダーの21位タイで試合を終えました。

チャンスを逸し続けた序盤の流れは6番からの2連続バーディだけと伸ばせず、

インでは2ボギーのあと、15番でグリーンエッジからパターで沈めるなど

3バーディを決めましたが、スコア以上に充実感いっぱいに語ったのは

「後半になってやっとショットが思い通りに打てるようになった。

曲がっていましたけど、いい感じに振れるように。

そのおかげでしっかりバーディを獲ることができた」と、

松山はサンデーバックナインの上がりだけは納得できた様です。

 

最終18番は、フェアウェイからの3打目を右奥に切られたピンに対し、

ショートサイドを攻め込んで、右2mからバーディフィニッシュでした。

思ったような攻めがスコアに結びつき「練習していたら、

何が悪かったのか少しずつ分かってきた」と、

雷雨により3日目まで毎日中断を強いられる展開でした。

2日目にはホールアウトした後、2時間以上クラブハウスで待機し、

再開後には人もまばらなドライビングレンジで打ち込みを行っています。

東南アジア特有の環境で変則日程を日々強いられても、

努力の姿は普段通りでした。

「初日、2日目の調子が10段階で言ったらゼロだったのが、

1、2くらいまでは上がったかな」と、4日間を通じ、

参加者が苦しんだパッティングには「すごく良かった4日間でした。

ただ、入っていないだけ」と、タッチが合ってきたことを語っています。

「あとはウェッジショット、グリーン周りの感覚がつかみ切れてない。

そこができればね」と、日本のツアーには目もくれず、

メジャーやビッグタイトルに照準を合わせているようです。

 

LPGAのシードを逃し、今年から日本の女子ツアーに

再挑戦している上田桃子が、新たなスタイルを体得する

価値ある1勝を手にしました。

1打差の2位からスタートした「樋口久子 森永レディス」最終日を

4バーディ、1ボギーと69のラウンドで、

通算10アンダーで今季2勝目を挙げました。

首位タイで迎えた最終18番、4mを沈めるバーディフィニッシュで決着をつけ、

日本で賞金女王を戴冠したころの強さを見せつけました。

復活を信じ、自身を鼓舞するために来シーズンは

年間10勝を目標に掲げています。

2003年に不動裕理が打ち立てた、年間最多優勝記録の金字塔を越えるには、

これまでの攻め中心のプレースタイルだけでは達成することは困難で、

あらゆる「勝ち方」を体現することが必要です。

 

攻めのスタイルとは対照的な「自分に期待せず、

無理をしないこと」をテーマに臨んだ大会でした。

風邪による体調不良から入り、ショットが不調だったことを打ち明けていましたが、

そのため楽な気持ちで戦えたのでしょう。

この日は前半4番でボギーが先行しながらも、

攻めに転じることもなく、切りかえたのは追い上げの起点となった

8番、9番の連続バーディでもなかったと振り返っています。

勝利への意識は「18番のバーディパットまでなかった、

それだけショットの状態が悪かったこともある。

他のことを考えている余裕がなかった」とのことでしたが、

プレーを支えたのは、成長を自覚しているショートゲームでした。

上田が挙げた最大のハイライトは7番ホール、

グリーン左サイドのラフから打った30yバンカー越えのロブショットでした。

 

ピン位置はグリーン左から7yと、落としどころはわずかしかない状況でしたが

「ライも悪くて、エクスプロージョン気味に打った」というロブショットは、

エッジを4yほど越えたグリーン上にキャリーし、

手前1.5mにピタリと止まりました。

ダブルボギーも覚悟した大ピンチをパーで切り抜けたのですが

「10回打って、1回できるかどうか。アメリカを経験したからこそ、

打てた1打だった」と振り返っていました。

武器とするショットは不調で攻めたい気持ちとの葛藤、

その中で勝てたことに、米国では否定され続けた自身のゴルフに

手応えと感じたということで「こういうゴルフで勝てたこと、

今までにないプレースタイルを見つけられたことは大きい」と、語っています。

 

上田桃子は10歳の時から坂田塾でゴルフを始めています。

2005年のプロテストに3位で一発合格し、同年のLPGA新人戦

「加賀電子カップ」で優勝し注目を集めたのです。

2006年からレギュラーツアーに本格出場し優勝こそなかったもののシード権を獲得。

2007年には地元熊本開催の「ライフカードレディスゴルフトーナメント」で

初優勝を遂げると、「リゾートトラストレディス」、「スタンレーレディス」と勝利。

その後も勢いは加速し、米国LPGA公式戦「ミズノクラシック」でも優勝を飾り、

2008年の「米国女子ツアーシード権」を獲得し、

「大王製紙エリエールレディス」でシーズン5勝目を挙げ、

史上最年少の「賞金女王」に輝いています。

2008年からは米ツアーに主戦場を移しましたが、

スイング改造に悩む中、2011年「ミズノクラシック」を制し、

2年ぶりのタイトルを獲得しています。

 

米国では、ツアー参戦当初のスランプから脱し、

世界ランクトップを争った宮里藍と比較されることが多く、

なかなか結果が出せずに辛い時期を過ごし、

今年の米国ツアーシードを逃した段階で日本に戻りました。

今シーズン前、バンコク近郊で練習していた上田に

「悔しい経験は必ず力になるから、アメリカに行った頃の気持ちで

もう一度頑張れ」と、話したのを覚えています。

出場権を持たない「日本女子オープン」の予選会に

単身での挑戦した際「キャディもいない、メモもない、

全て自分でやらなければならなかった」と、現在置かれている自分の立場、

周囲のバックアップに感謝するとともに、

10歳以上も離れた若手の迷いのないプレーに感化され、

気持ちを新たにしたことを語っていました。

 

帰国時点で9勝(国内8勝、未公認国内1勝、 海外1勝)を

挙げていた上田ですが、2011年の「ミズノクラシック」を最後に

優勝からは遠ざかっていました。

「正直、もう少しやれると感じていた。もちろん優勝できれば

ラッキーだと思うけど、ここからは来年に向けての土台を作る後半戦にしたい」と、

技術面の底上げや「自分を作る」ことにシフトすることで

「自分のスタイル」を思い出し、ウィークポイントを修正していくことで

目標を叶えようと取り組み方を変えた途端に、

大箱根CCで行われた「CAT Ladies」で復活優勝を飾りました。

 

最終日の新旧賞金女王の戦いは、3打差で森田理香子を追ってのスタートでした。

最終ホールで森田に競り勝っての優勝でしたが

「アメリカでの苦しかったけど勉強になった6年間。

これでいいんだという気持ちがあったから涙が出なかったんだと思う」と、

上田に涙はありませんでした。

スタート前にバランスボールに腰掛けて練習をしていましたが、

彼女の持ち味は股関節の柔軟さと、下半身の強さです。

シーズン当初、予選落を喫した際に「補う作業は自信をなくす。

正直、今年は捨てようと思って、自分の土台を固めようと考え直した」と、

自分が現在持っているものを見つめ直し「泥臭く攻めること」に徹した勝利でした。

結果がすべての世界ですが、彼女も一瞬たりとも

努力を怠ったことはなかったはずです。

米国という時差がある広い国土の移動、言葉の壁、食生活の問題と、

ゴルフ以外の障害物競争に敗れ、日本に復帰した上田桃子ですが、

年間10勝を目標に掲げる来シーズンに向け力強く踏み出しました。

米国で結果が出せなかった選手たちが通用するのが日本ツアーの現実で、

体調が整えば石川にも優勝のチャンスは訪れるはずです。

 

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